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[再掲]①無差別テロ的犯罪、②加害者を狙ったテロ的犯罪、③著名人を狙ったテロ的犯罪の3つのテロ的犯罪が流行しそうで、恐ろしい。 [ジョーク(未来予測)] [「安倍総理、日本国万歳!!」①]

2022年7月19日の『毎日新聞』のニュースサイトに「安倍氏国葬に賛否、野党から反対や懸念の声『法的根拠、説明を』」https://mainichi.jp/articles/20220719/k00/00m/010/390000c という記事があった。
首相は14日の記者会見では安倍氏の国葬について、①憲政史上最長の約8年8カ月にわたり首相の重責を担った②東日本大震災からの復興や日本経済の再生、外交などの実績を残した③外国首脳を含む国際社会から高い評価を受けている④国内外から幅広い哀悼の意が寄せられている――と理由を列挙した。
などと書いてあった。

一言で言うと「普通に仕事した」ということが根拠のようだ。

このブログでは、国葬がどうのこうのと細かいことを言わずに、いっそ、安倍晋三神社を創建すればいいという立場だ。その方が、勝共思想(≒警察精神)国家日本らしい。

安倍晋三陛下が教団に倒れた理由も、その辺にあると後世の歴史学者が、指摘することになるかもしれないが・・・、

国民皆警察化してしまっているから、そんなことを指摘する歴史学者は現れないか。

安倍晋三陛下の「国葬がどうのこうのと細かいことを言わずに、いっそ、安倍晋三神社を創建すればいい」とはいうものの、心配なことがある。

安倍晋三陛下が教団に斃れたことに関する報道(ワイドショウ含む)をみると、統一教会系は岸信介との関係を認め勝共思想で日本の政治家と繋がりがあると認めるが安倍晋三陛下との関係は曖昧、勝共系のコメンテーターは●●容疑者が無関係の安倍晋三陛下を殺したと声を荒げる、勝共系の警察は警護の問題は早々に認め統一教会を野放しにしてきたことについては死んだふり、反安倍系は全体的に死んだふり、といった感じだ。

●●容疑者の主張を否定するのは良いのだが、勝共系のコメンテーターの主張は、統一教会と無関係の安倍晋三陛下を殺した、安倍晋三陛下を殺すことで統一教会問題に世間の注目を集めて、統一教会に大きなダメージを与えることが目的だったというメッセージになっているように思う。

近年はガソリン等を使った無差別テロ的な犯罪が流行の傾向にあったが、安倍晋三陛下と統一教会の関係を認めて●●容疑者のテロ的犯罪はターゲットを絞った犯罪であったと報道すると、無差別テロ的犯罪でなく、ターゲットを絞ったテロ的犯罪に流行がシフトするように思う。

恨みを買った人が狙われるので怨恨を動機とした犯罪になる。無差別テロ的犯罪と比べれば、この方が取締りはしやすいように思う。恨みを買っている人たちは反対するだろうが、無差別テロ的犯罪より怨恨を動機とした犯罪の方が因果関係を辿りやすいので、怨恨を動機とした犯罪にシフトした方が社会全体の安全を考えると良いように思われる。逆に言うと恨みを買ったり狡いことをする人たちが因果関係を辿りにくい工作をすることが無差別テロ的犯罪を増加させている可能性があるということだ。

統一教会と無関係の安倍晋三陛下を殺すことで、統一教会問題に世間の注目を集めて、統一教会に大きなダメージを与えることを目的にして、●●容疑者が安倍晋三陛下を殺害したと喧伝すると、被害妄想的信念を持った人(実際に被害を受けていても被害者にならない人含む)たちに、無関係の著名人を殺すことで、加害者(個人や組織)にダメージを与えることができると思い込ませることにならないか心配だ。

安倍晋三陛下は統一教会の霊感商法などの問題を知りながら教祖を讃えたことで恨みを買って被害に遭ったと、事実関係を説明した方が、害が少ないように思う。

これからは、①無差別テロ的犯罪、②加害者を狙ったテロ的犯罪、③著名人を狙ったテロ的犯罪(社会問題等に注目を集めるために著名人を殺害する)の3つのテロ的犯罪が流行しそうで、恐ろしい。

体感的には、●●容疑者のような身の上の日本国民は、山ほどいるように思う。

今回、●●容疑者が安倍晋三陛下を仕留めたわけだが、他にも安倍晋三陛下を狙っていた人や組織があっても不思議がない気がする。

ターゲットを失ったテロリストが、何をしでかすか考えただけでも恐ろしい。

テロ的犯罪が起こるリスクが高まっている気がしてならない。

こんな時局に、安倍晋三陛下の国葬をするのは、あまりに能天気な気がする。

2022年7月19日の『FNNプライムオンライン』というサイトには「中国で“山上容疑者フィギュア”販売 コスプレやイラストで“英雄視”も…反日だけじゃない背景とは」という記事がある。

それには、
ジャーナリスト 福島香織さん: 今の中国の共産党支配に、なんとなく不満を持っている。でも、あんまり大きな声で言えないネットのユーザー達というのが、やはりいるんですね。貧しい人が巨大な力を持つ政治家をやっつけたっていうことに対する羨望というか、共感というか、すごいなと 政治に対する不満があってもそれを自由に表現できない中国で、一部の若者達は自分の国に置き換えて、山上容疑者に憧れを抱いているというのです。
などと書いてあった。

「今の中国の共産党支配」がいかに病んでいるかを強調(勝共?)しようとしているのだと思うが・・・

「今の中国の共産党支配」でも起こらないことが日本で起こったということは、「今の中国の共産党支配」より、勝共思想(≒警察精神)を持った人で溢れる(国民皆警察化されている)日本の方が病んでいるということを暗示しているように思えてならない。

「貧しい人が巨大な力を持つ政治家をやっつけたっていうことに対する羨望というか、共感」は、日本でも起きうる気がしてならない。

時局柄、日本ではあからさまに●●容疑者を英雄視する意見は出にくいが、大阪教育大学附属小学校事件の●●容疑者を英雄視する人々も少なからずいたとされ、罪もない子供達を殺害した異常な犯罪者でさえ英雄視する馬鹿者がいるこの国の現状から判断すれば、この事件の●●容疑者は中国だけでなく日本でも英雄視されるものとして対処すべきではないだろうか。

また『探偵物語』の松田優作の衣装は三菱銀行人質事件の●●容疑者のファッションを真似たといわれることがあり、異常な犯罪の容疑者が英雄視され模倣されることも少なくない。今回の事件の恐ろしいところは、統一教会の広告塔になっていた政治家を統一教会の霊感商法の被害者が暗殺するという筋書きが、いかにも松田優作の遊戯シリーズにありそうな話しで、ファッションの模倣だけでなく、犯行自体の模倣も流行しそうなことである。

安倍晋三陛下の国葬をするのは、結構だが、著名人や安倍晋三陛下のお友達が集まることになると、警護や警備に万全を尽くしたとしても、守り切れないのではないだろうか。一番恐れるのは、別々の容疑者によって計画実行されるテロ的犯罪(上記の3種類)が同時多発的に起こることである。

記帳所や献花場所を設けたりすると、いくら警察官がいても足りない状態になりかねない。

それこそ、漱石のいう「警察の逆上」が起こりかねない。

もし、大和西大寺駅前に続いて、国葬でも、警護や警備で失敗すると、日本の治安が崩壊してしまうのではないだろうか?

警察が警護や警備活動で失敗することを望むのは、警察に恨みを持つもの、つまり勝共思想(≒警察精神を注入されると、市民を「シナ」「土人」と平気で罵れるようになる)で脳をやられた現職警察官(心の声と片耳イヤホンからの所属長の命令との区別が出来ないくらいに教養された警察官)である。そんな警察官が警察車両や警察装備を活用して、テロ的犯罪を起こすことも、これまでの警察官のあり得ない不祥事を考慮すれば、絶対にないとは言えない。全国の警察から機動隊を動員すると、勝共思想で脳をやられた別々の警察官によって計画実行されるテロ的犯罪(上記の3種類)が同時多発的に起こることも十分考えられる。

心配だ。

安倍晋三陛下の警護担当者たちは、●●容疑者のハンドメイド銃の一発目の銃声で驚いて、猫騙しにあったようにフリーズしたと報道されている。これは、警護を無力化するのに陽動作戦が極めて有効と喧伝するようなもので、これからのテロ的犯罪は、陽動作戦があるものとして対応する必要があるだろう。




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[再掲]「児童虐待推進キャラクター」?? 「学生ローンをなくすために奨学金をつくる。」!! という表現が正しい日本語だとすると、JASSO(Japan Student Squeezes Organization、学生支援機構)のいわゆる奨学金問題は詐欺問題ということなんじゃ・・・。 [からかい殺す世の中に]

2016年6月12日の『産経新聞』のニュースサイトに「『虐待推進キャラ』と誤記 都HP『防止』の文字脱落」という記事があった。
東京都が児童虐待防止を呼び掛けるホームページのキャラクターの説明で「防止」の2文字が脱落し、「児童虐待推進キャラクター」と誤って表記されていたことが12日、都への取材で分かった。
のだそうだ。

たしかに、「児童虐待防止推進キャラクター」と「児童虐待推進キャラクター」では意味がまったく逆だ。

たしかに、面白い話だ。

これが面白い話なら、

JASSO(Japan Student Squeezes Organization、学生支援機構)のいわゆる奨学金は、

この100倍面白い話だ。

JASSO(Japan Student Squeezes Organization、学生支援機構)のいわゆる奨学金は、本当は奨学金ではなく借金なのに見て見ぬ振りだ。

返済能力のない人間に貸付限度額の∞倍貸し付けることを、「奨学金」と呼んでいいなら、この世から詐欺罪が消えて無くなるだろう。

いわゆる奨学金問題で、死人が出ている(九大オーバードクター爆死事件、ほかにも多くの自殺者が出ていると噂されている)のに、返済能力のない人間に貸付限度額の∞倍貸し付けることを「奨学金」と呼び続けるのは、異常なことだ。

ちょっと前(2019年05月21日)の『時事ドットコムニュース』のサイトに「学生ローン400人分肩代わり=44億円、卒業式で資産家が宣言-米」https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052000594&g=int という記事があった。
米南部ジョージア州アトランタのモアハウス大で19日開かれた卒業式で、スピーチした資産家が突然、卒業生約400人全員分の学生ローンを肩代わりすると宣言した。
ことを伝えるニュースで、
スミスさんはスピーチで「学生ローンをなくすために奨学金をつくる。皆さんはきっと別の人々に恩返ししてくれるだろう」と述べた。
と書いてあった。

「学生ローンをなくすために奨学金をつくる。」という部分をよく見ていただきたい。

このニュースは、日本語の一般的な意味での「学生ローン」と「奨学金」の意味が理解できていないと、まったく意味不明の発言となる。

JASSO(Japan Student Squeezes Organization、学生支援機構)のいわゆる奨学金(学生ローン:学生を対象とした消費者金融)が一般的な意味だとすると、

スミスさんはスピーチで

「学生ローン(学生を対象とした消費者金融)をなくすために奨学金(=学生ローン)をつくる。皆さんはきっと別の人々に恩返ししてくれるだろう」と述べたことになる。

それを聞いた学生は、

「別の人々に恩返し」を

「別の人々を騙せ」と言われているとしか解釈できないだろう。

「学生ローンをなくすために奨学金をつくる。」!! という表現が正しい日本語だとすると、

JASSO(Japan Student Squeezes Organization、学生支援機構)のいわゆる奨学金問題は、

詐欺問題(奨学金と欺いて貸付限度額の∞倍の金銭消費貸借契約を結ばせる)ということになるのではないだろうか?

日本の裁判所は「法律用語が国語的な意味と全く同じになるとはかぎらない」(ワンセグ受信料裁判で「設置」に「携帯」の意味も含まれると解釈したらしい)という法律技術を使っているという。

この法律技術を使うと、「奨学金」に「学生ローン」(学生を対象とした消費者金融)の意味も含まれると解釈できてしまう。

「児童虐待推進キャラクター」も

「児童虐待防止推進キャラクター」もまったく同じ物になってしまう。

もうなんだか、わけのわからない話だ。

奨学金返還訴訟を受理する裁判所や、

JASSO(Japan Student Squeezes Organization、学生支援機構)のいわゆる奨学金(学生ローン:学生を対象とした消費者金融)問題の被害者(奨学生)に返済義務を負わせる判決文を書いたり、和解をさせたりする裁判官は、

正常な精神状態といえないのではないだろうか?

裁判所職員や裁判官の判断能力は、警察官並みなのではないだろうか?


「学生ローンをなくすために奨学金をつくる。」といえるなら、

JASSO(Japan Student Squeezes Organization、学生支援機構)のいわゆる奨学金が奨学金でないことを百も承知で報道していることになる。

なんともおかしな話だ。


それを、おかしいとも思わないマスコミって・・・

日本の警察化は、とどまるところを知らないようだ。


※このブログの「『県警の体質に異例の苦⾔ 警官射殺事件判決、旧態依然の指導』?? 裁判官は『警察教養(警察学校教養と職場教養)』の意味を知らずに判決文書いてるんじゃ・・・」という記事で
※裁判官が日本語を知らないことは、大きな問題だ。公文書や統計を日本語で正しく書いても、意味を恣意的に取り違えてしまっては、法治国家とはいえない。日本には日本語を公用語とするという法律はなく、裁判所が日本語を使用する(裁判所法第74条「裁判所では、日本語を用いる。」)と定めているだけらしい。その裁判所が「奨学金」という日本語の使い方を間違っているんだから、もう、偽装云々の話ではない。リアル『1984年』(ジョージ・オーウェル)だ。
と書いたが、ワンセグ受信料裁判で裁判所は「法律用語が国語的な意味と全く同じになるとはかぎらない」と判示したそうだ。法的安定性も三権分立もまったく無視だな・・・。
放送法64条は「受信設備を設置した者は受信契約をしなければならない」と規定。64条の「設置」に「携帯」の意味も含まれるとのNHKの主張に対し、1審判決は同法の別の条文では「設置」と「携帯」の用語を区別して使っており、64条で定める「設置」に電話の「携帯」の意味を含めるのは「無理がある」として退けた。
(「ワンセグ受信料『契約義務ある』 NHKの勝訴が確定 最高裁」2019年3月13日『産経新聞』ニュースサイト)











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[再掲]「1秒あたり7万7000トンの水を放流している中国三峡ダム、済州の海も危険だ」!!台風や豪雨被害の増加は、地球温暖化の影響ではなく三峡ダムの影響ではないだろうか? [ジョーク]

2020年7月29日の『中央日報/中央日報日本語版』に「1秒あたり7万7000トンの水を放流している中国三峡ダム、済州の海も危険だ」https://japanese.joins.com/JArticle/268589 という記事があった。
長江から海に流れてくる平年流出量は1秒あたり4万4000トンだ。しかし最近では大雨と洪水で流出量が7万7000トンまで増えた状況だ。このために約1カ月後の8月中・下旬のばく大な量の長江水が済州沿岸に到着する可能性がある。

この場合、塩分が低い川水と塩分が高い海水が出会い、「低塩分水」を形成する可能性が大きい。低塩分水は水温を高め、魚介類などの海洋生物を斃死させるなど海洋生態系を脅かし被害が懸念される。済州海洋水産研究院は22日、済州西側の海上に無人観測装備を設置し、海の水温と塩分を観測するなど流入監視システムを強化している。
などと書いてあった。

「塩分が低い川水と塩分が高い海水が出会い、『低塩分水』を形成する可能性が大き」く、「低塩分水は水温を高め」るという。

2020年8月3日の『中央日報/中央日報日本語版』の「『中国・揚子江の雨水が押し寄せる』 韓国・済州が非常事態…塩分・水温をリアルタイム観測」https://japanese.joins.com/JArticle/268754 という記事には、
低塩分水は塩分濃度が30psu(ピーエスユー)以下の海水のことを指す。海水1キロに溶けている塩分が30グラムよりも少ないことを意味する。普通、塩分がない川の水と海水が出会うと形成される。水産生物が低塩分水にさらされると浸透圧の調節に影響を及ぼしてストレスを誘発し、斃死に至る場合もある。

海洋水産部は中国発低塩分水の被害を予防するために対応体系を用意してモニタリングを強化している。海洋水産部所属の国立水産科学院は、現在、人工衛生「千里眼」と独自のリアルタイム海洋環境漁場情報システムを通じて低塩分水の移動経路と流入現況をモニタリングしている。
などと書いてある。

これらの記事では、済州島周辺の生態系への影響を心配しているようだ。

我が国にも、「中国三峡ダムの建設が東シナ海および日本海の海洋環境に及ぼす影響の評価に関する研究」というのがあり、
長江が注ぐ東シナ海は広い大陸棚を擁し、高い生物生産を持った海域として知られている。河川を通じて海に運ばれる様々な物質は海洋生物の生態に大きな影響を与えており、東シナ海の生物環境は河川水の影響を無視しては考えられない。

長江から東シナ海に流入した河川水の多くの部分が対馬海峡を経由して日本海に流入する。その流入する水の海水密度は含まれる河川水の割合に依存しているため、対馬海流に含まれる河川水の量は日本海の海洋循環を大きく支配している可能性がある。また、そこに含まれる栄養分が日本海の生物生産を支えているという見方があり、長江等河川水の影響は東シナ海にとどまらず日本海の生態系にも無視できない影響を及ぼすと考えられている。

さらに、低塩分水および黒潮双方の影響を受けた対馬海流の変動と日本海の循環および生物環境との関係に注目する。
(「中国三峡ダムの建設が東シナ海および日本海の海洋環境に及ぼす影響の評価に関する研究」https://www.riam.kyushu-u.ac.jp/ocd/Research/ECS.htm

と、三峡ダムによる長江の河川水量変化に起因する低塩分水が東シナ海及び日本海への生物環境や海洋環境へ及ぼす影響を研究しているらしい。

素人考えだが、

低塩分水が水温を高めるとすると、気象への影響も懸念されるのではないだろうか?
※低塩分水と逆で三峡ダムの建設によって河川水の東シナ海への流入が減少して、ダム建設以前と比較して東シナ海の塩分が相対的に増えたことによる海水温の低下の可能性がある。

不思議なことに、

海水の塩分濃度の変化と気象の関係については、

大々的には研究されていないようだ。

このブログの「『大地震は台風の後にやってくる、米大研究』!! 地球温暖化は中国の気象兵器による攻撃?? [ジョーク(未来予測)]」で、

もし海水の塩分濃度と海面温度、海面温度と気象の関係に因果関係があるのなら、三峡ダム(水の重さ)やメコン川のダム群は、中国の気象兵器と呼べそうだ。 ということは、 地球温暖化は中国の気象兵器による攻撃、 ということになるだろう(陰謀論?)。
と書いたが、

低塩分水と逆で三峡ダムの建設によって河川水の東シナ海への流入が減少して、ダム建設以前と比較して東シナ海の塩分が相対的に増えたことによる海水温の低下の可能性がある。

素人考えでは、

台風や豪雨被害の増加は、地球温暖化の影響ではなく三峡ダムの影響ではないだろうか?

という素朴な疑問が沸いてくる。

日本は、日本で近年増加したと言われる台風被害や豪雨被害の増加と、長江から河川水流入の減少による海水温の低下とに因果関係がないか調査すべきではないだろうか?

いや、中国でも陰謀論や非科学的(似非科学?)な中国非難を避けるためにも、

三峡ダム建設による長江から河川水流入の減少により東シナ海の海水温の低下が、東アジアの気候に与える影響を研究すべきではないだろうか?

仮に三峡ダム建設によって東シナ海の海水温の低下があったとしても、地球全体の海水温分布が変わるだけで、地球全体の平均海水温が上がっていれば、東シナ海の海水温の低下に関する研究は地球温暖化の理屈を否定することにはならないことから、地球温暖化を主張する人々が研究しても問題ないと思うのだが・・・。やはり警察化した世の中では、時代(時局)に逆行する主張と思われると、生きづらいことになってしまうから、素人の素朴な疑問に答えてくれるような研究はないのだろうか?

三峡ダム建設によって東シナ海の海水温の低下が、めぐりめぐって、地球全体の温暖化に寄与している可能性もあるような気もするのだが・・・。


以下、
「気象災害兵器『三峡ダム』!! [ジョーク(未来予測)] 」を再掲。


気象庁の『異常気象レポート2014 概要編 近年における世界の異常気象と気候変動~その実態と見通し~(Ⅷ)』に「図S1.11 全球海洋表層貯熱量の経年変化(図1.2.16)」という図がある。
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「図S1.11 全球海洋表層貯熱量の経年変化(図1.2.16)」


この図を見ると、1997年あたりから、「全球海洋表層貯熱量」がうなぎ上りになっている。

1997年は、中国・長江中流域の湖北省宜昌市三斗坪にある大型重力式コンクリートダムの三峡ダムの第一期工事が完成し、長江本流を堰止め、第二期工事を開始した年である。2003年の第二期工事完成、一部湛水一部発電開始、第三期工事開始で、さらにうなぎのぼり、2006年に三峡ダム本体完成、2009年に完成で、さらに段階的にうなぎのぼりで、2014年に至る。

中国は、揚子江の水流を落とし、東シナ海の対流を妨げることで、日本近海の海面温度を変化させ、日本に気象災害を起こすことを目的に三峡ダムを作ったに違いない。

あの中国ならやりかねない。

三峡ダムは、中国の新型気象災害兵器に違いない!!

そう考えると、

陰謀論の出来上がりだ。






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[再掲]警察官は、幼稚園未満の人間である―『ひとつ屋根の下』第1話「苦い再会」でのあんちゃんの興味深いセリフ [ドラマ・映画ほか]

 1993年4月12日に放映された『ひとつ屋根の下』第1話「苦い再会」の12分前後に、俳優の江口洋介が演じる「あんちゃん」こと柏木達也の興味深いセリフがある。婚約者と婚約者の両親を前にしてのあんちゃんの発言である。

あんちゃん:「おとうさん、おかあさん。僕は、僕は何の取り柄もありません。学歴も、貯金も担保も、たかが知れています。いや、その、ようするに、幼稚園なんです」
婚約者の父:「幼稚園?」
あんちゃん:「はい。幼稚園で習ったことだけを、ずっと守ろうと思って生きてきました。その、なんていうんですか、人を傷つけてはいけません。人の物を盗ってはいけません。女の子に暴力を振るってはいけません。物を大切にしましょう。思いやりを持ちましょう。外から帰ったらうがいをして、食べたら手を洗う。なんていうんですかね、あの、うまく言えないんですけども」
婚約者の父:「うん、うん、うん、うん、わかるよ」
婚約者の母:「いいことだわ」
婚約者の父:「そうか、うん、幼稚園で学んだことが全てか」
あんちゃん:「お嬢様を、必ず幸せにします」

というセリフだ。
 あんちゃんが幼稚園で学んだことと主張することのうち、「外から帰ったらうがいをして、食べたら手を洗う」というのは公衆衛生の基本で、①「人を傷つけてはいけません」、②「人の物を盗ってはいけません」、③「女の子に暴力を振るってはいけません」、④「物を大切にしましょう」、⑤「思いやりを持ちましょう」の五つは、人間が守るべき基本的な倫理規定のことである。
 ①「人を傷つけてはいけません」、②「人の物を盗ってはいけません」、③「女の子に暴力を振るってはいけません」は、思いやりを持っていなければできないことであり、④「物を大切にしましょう」を物に対する思いやりと考えれば、幼稚園で習う人間が守るべき基本的な倫理規定は、⑤「思いやりを持ちましょう」に一括できる。
 この幼稚園で習う「思いやりを持ちましょう」という人間が守るべき基本的な倫理規定を、警察官は守れないのだ。
 奇異に聞こえるかもしれないが、不祥事をおこした警察官ばかりでなく、上司の命令一下躊躇なく行動できる警察官全てが「幼稚園」で学んだことを省みることができないのである。
 警察官の仕事は、容疑者の逮捕、証拠品の押収、所持品検査(身体検査も含)、容疑者の同意のない写真撮影、張込みや物陰に隠れての取り締まりなどである。
 もし、警察官が職務の際に「人を傷つけない」「女の子に暴力を振るわない」「人の物を盗らない」「物を大切にする」「思いやりを持つ」などと主張したらどうなるだろうか。
 逮捕の際に「人を傷つけない」といって容疑者を制圧しない。「人の物を盗らない」といって証拠品を押収しない。浅間山荘事件など立てこもり事件での突入の際に「物を大切にする」といって扉を破壊しない。覗かれるのは嫌だろうからと「思いやりを持つ」といって張込みはしない。などと警察官が主張したりしたら、警察官の仕事は、まったく成り立たなくなってしまう。
 道徳はとりあえず横において、警察官たちは、上司の命令一下、一糸乱れず行動しなければ、仕事にならないのである。
 特に市民相手の警備活動では、「人を傷つけない」「女の子に暴力を振るわない」「思いやりを持つ」などといっていては、まったく仕事にならない。警備実施の際に「思いやり」などあってはならないのだ。警察官の仕事は「思いやり」を持っていては仕事にならないという特徴があるのである。

 この特徴を明示する出来事に誤認逮捕事件がある。誤認逮捕事件は、警察官の仕事、つまり警察における「職務倫理」に従った行為が、人間が守るべき基本的な倫理規定と一致しないことを明示している。
 誤認逮捕の場合、合法的な逮捕の際にはまったく問題にならない通常業務としての警察官の行為が、ことごとく、違法な行為になってしまうのである。このことは、警察官が職務以外で、警察官の仕事と同様の行為をすれば、違法な行為になるということを示している。つまり、警察官が日常業務として行なっている行為は、TPO(時・場所・場合)によって、犯罪行為になるのである。

 警察官の仕事は、人間が守るべき基本的な倫理規定と一致しないばかりか、その行動のみに着目すると、犯罪行為と変わりないのだ。

 2000年4月24日の「荻野教授誤認逮捕事件」は、警察官の仕事が、その行動のみに着目すると、犯罪行為と変わりないということを示す好事例である。
 「荻野教授誤認逮捕事件」というのは、2000年4月20日に発生した横浜市保土ヶ谷区のクリーニング店従業員の長男が下校途中に誘拐された事件の捜査の際に兵庫県警が起こした誤認逮捕事件のことである。
 2000年4月24日、兵庫県警察本部刑事部機動捜査隊の警察官と西宮警察署の警察官は、事件とまったく無関係の関西学院大学の荻野教授を誤って逮捕するというとんでもない間違いを犯したのである。
 この兵庫県警による誤認逮捕に対する国家賠償請求訴訟では、兵庫県警の警察官たちの公権力の行使(逮捕行為、所持品検査、意思に反する連行、返答の強制、同意なき携帯電話のチェック、同意なき写真撮影)の違法性の有無が争われ、荻野教授が勝訴している。
 判決では、逮捕行為→違法、所持品検査→検証にあたり違法、意思に反する連行→違法、返答の強制→違法、同意なき携帯電話のチェック→検証にあたり違法、同意なき写真撮影→違法という結果である。
 「荻野教授誤認逮捕事件」で違法な公権力の行使と認定された行為と同様の行為を一般市民がすれば犯罪行為になる。
 逮捕行為、所持品検査、意思に反する連行、返答の強制、同意なき携帯電話のチェック、同意なき写真撮影を犯罪行為と対応させてみると、逮捕は「暴行」、所持品検査は一般的に身体検査を含むことから「痴漢」、意思に反する連行は「拉致」、返答の強制は「いたずら電話などの迷惑行為」、同意なき写真撮影は「盗撮」ということになる。
 このことは、警察官が間違えた仕事をすると違法な公権力の行使になるが、警察官が仕事以外で警察官の仕事と同様の行為をすれば、一般市民と同様に犯罪行為になるということを示している。

 このほかにも警察官の仕事には、張込みがある。刑事ばかりでなく、地域課の交番勤務の警察官も自転車窃盗犯逮捕のために張り込んだりする。交通課などでは、いったん停止や速度違反検挙のために物陰に隠れて取り締まりをする。これも張込みと同様の行為である。

 誤認逮捕の事例と同様に考えれば、張り込みや取り締まりという警察官の通常業務も、まったく無関係な市民に対して行えば「覗き」ということになる。同様に考えると、証拠音声の録音は「盗聴」、尾行は「ストーカー行為」、保護は逮捕と同様に「暴行」「傷害」「殺人」「拉致」「監禁」などということになる。
 このようにTPO(時・場所・場合)によっては、張り込み(覗き)、証拠写真・動画の撮影(盗撮)、証拠音声の録音(盗聴)、尾行(ストーカー)、所持品検査(痴漢)、逮捕・保護(暴行・傷害・殺人・拉致など)などの何でもない警察官の日常業務が、犯罪行為になってしまうのである。
 まだこの他にも、警察官の仕事には、留置管理業務と呼ばれている仕事がある。留置管理業務は、留置場のトイレまで監視することから、張り込みや取り締まりより、より純粋に「覗き」に近いといえる。また、留置管理業務における留置人に対する身体検査は、所持品検査より「痴漢」に近い。
 さらに言えば、警備公安警察における警備対象者に対する情報収集、写真や動画の撮影、通信傍受、張り込み、尾行などは、警備対象者を誤認した場合は、文字通り「盗撮」「盗聴」「覗き」「ストーカー行為」である。

 恐ろしいことに、警備公安警察に警備対象者にされていることは、情報漏洩でもない限り、明らかにならない。警備公安警察における警備対象者の誤認の被害者は、誤認されていることを知ることすらできず、なす術もなく被害を受け続けることになる。

 このように、警察官が日常業務として行っている行為は、ちょっとTPOを間違えただけで、犯罪行為となり、警察官の不祥事になってしまうのである。このことは、不祥事を起こした警察官たちが、特殊な行為をしたのではなく、TPOを間違えて日常業務として行っている警察官の仕事と同様の行為をしただけであることを示している。

 警察官の仕事は、サービス的な仕事、言い換えれば、CI活動(後述)以外は、犯罪者を捕まえたり、犯罪を犯しそうな人間を見張ったりすることである。これらの警察官の仕事は、相手の意思に反することをすること、考える暇も与えない場合は、意志に反することをすることといえる。

 一般的に人間は、意思や意志に反することをされると苦痛を感じることから、警察官の仕事は人間に苦痛を与えることであると言っても過言ではないだろう。

 相手の人間が善人であれ悪人であれ、人間に苦痛を与えることは、幼稚園で「思いやりを持ちましょう」と学んで、「思いやり」を持とうと心がけて生きてきた人間には、なかなかできることではない。たとえ上司の命令でも躊躇してしまうに違いない。

 人間に倫理観や思想信条を省みることなく行動することを完全に習慣づけることができれば別だが、機械にでもならない限り、相当なトレーニングをしても、躊躇なく他人に苦痛を与えることができるようにはなれないだろう。
 もし、なんの躊躇もなく警察官の仕事ができている人間がいるのだとすれば、その人間は「思いやり」を持つことができないという点で、幼稚園で学んだ道徳的な基礎を持たない幼稚園未満の人間というよりない。

※漱石が批判した探偵化(警察化)は、警察教養によって警察官に注入された職務倫理が、警察官を模倣中心とした社会教化運動によって、社会の倫理になることを批判したと考えればよいだろう。ここでいう「教養」や「教化」は、現在、北朝鮮や中国で使われている意味での「教養」や「教化」である。

※ちょっと考えればだれでもわかることだが、ブラック企業の企業倫理は警察の職務倫理と同じだ。ブラック企業は警察のマネをしていると考えればよいだろう。そう考えると、漱石はブラック企業の誕生も予言していたということになるだろう。

※漱石的に言えば、道義的同情が道徳の根拠で、警察の職務倫理は、道徳とは無縁だということだ。

※昨今、道義国家などというヒトがいるが、あれは忠恕の「忠」に基礎をおいた犬党の暗示のためのスローガンである。国家や政党などに忠なヒトをつくろうとしてスローガンを鼓吹しているヒトは、ミンナ犬党だ。猫党の道徳の基礎が何かは、既にこのブログで『吾輩は猫である』を引用して書いた(「『公徳』― 穂積陳重の『公徳教育に就て』、松井茂の『広義の警察教育』http://nekotou-senngenn.blog.so-net.ne.jp/2014-04-30-3)。


※「道義的同情を欠いた人間」については、「漱石の文明批判と未来予測 ―『二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる』(探偵化論)」http://nekotou-senngenn.blog.so-net.ne.jp/2014-04-28-1 を参照ください。


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