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[再掲]岩明均『寄生獣』を読んでみた。どうやら、岩明均には、文芸の哲学的基礎があるようである。 [アニメ・マンガほか]

『寄生獣』というアニメが、中国で配信規制されるという話があるのだそうだ。

『寄生獣』というアニメを観たことがないので、どんな話か全く分からない。

話を知らなければ、規制することが良いことなのかどうか、判断できない。

そこで、原作の岩明均『寄生獣』を読んでみた。

人間の脳に寄生し、ついで宿主の脳にとって代わり、伸縮自在、硬軟自在の身体を変形させ宿主の顔をコピーし、宿主の首から上に棲み、宿主と同種の生物を捕食する知的生物が、たまたま、ある少年の右手に寄生し、この寄生(ミギー)した生物と宿主の少年(泉新一)との種を超越した友情の物語。

まんがで右手と言えば、古谷三敏『手っちゃん』を思い出す。

右手繋がりでは、ライダーマン。

左右問わず、手繋がりでは、『地獄先生ぬ〜べ〜』の鬼の手などを思い出す。

話がそれた。

『寄生獣』には、特に良い表現がある。

第6巻204ページ、

平間警部補ほか私服警官隊が、赤ん坊を抱いた田村玲子を一斉射撃する場面がある。

この場面は、平間警部補ほか私服警官隊の方が、寄生獣に見える。

実に秀逸な表現である。

ほかにも、

自衛隊に射殺された広川市長が、

「人間こそが地球を蝕む寄生虫!!」「いや寄生獣か」と演説する場面(第7巻187ページ)もなかなか秀逸である。

第7巻184ページの広川市長の「・・・地球上の誰かがふと思ったのだ・・・」「生物の未来を守らねばと・・・」との言葉は、第1巻5ページの「地球上の誰かがふと思った。『生物の未来を守らねば』・・・」と一致している。

「寄生獣」とは、ミギーや田村玲子や後藤などの寄生生物ではなく、人間なのである。


ただ残念なのは、

バケモノと人間を見分ける能力を持つという凶悪犯浦上(第6巻252ページから登場)が、警察に逮捕されているという、不自然な点があることである。

本当に浦上にバケモノと人間を見分ける能力があれば、

浦上は、警察官の接近を常に事前に察知することができるということであり、

浦上は、警察に捕まるはずがないのである。

警察官も寄生生物同様バケモノなのである。

寄生生物は、突出した知性を持ちながら情を持たない。

このことは、

漱石が警察官が文芸の哲学的基礎(道義的同情)を欠いていて、

知性のみがむやみに働くと言ったことと同じである。

寄生生物(後藤)を射殺するために同僚自衛官もろとも射殺するよう命じる指揮官と命令に従う自衛官を描いた場面(第7巻210ページ)、平間警部補ほか私服警官隊が、赤ん坊を抱いた田村玲子を一斉射撃する場面は、

文芸の哲学的基礎(道義的同情)を欠いた犬党のヒトビトの特質を良く表現できている。

どうやら、岩明均には、文芸の哲学的基礎があるようである。

ミギーが、生きんとする意志の肯定を象徴するのだとすれば、この物語は、

意志の肯定から、意志の否定に至るショーペンハウアー哲学を示唆する物語と言ってもよいかもしれない。

『寄生獣』と同様に、

ニーチェ的な意志の肯定一辺倒のニンゲンが諦念に至る筋という意味で、

細野不二彦の『電波の城』も興味深い。

※中国が『寄生獣』を規制しようという真の目的は、中国国民が中国共産党という寄生獣に気づかないようにとの配慮かもしれないが・・・











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[再掲]どんなに宣伝しても戦争は、人殺し!! 戦争は人殺しだが、戦時国際法に違反しなければ、犯罪にはならないというだけだ。 [博士が的中させた未来予測ほか]

『NEWSポストセブン』 というサイトにSAPIO 2016年11月号 「朝ドラ『戦争=人殺し』という描写の薄っぺらさを専門家批判」http://ironna.jp/article/4231という記事があった。

やっぱり、「戦争大好き、危機管理利権よありがとうの犬党のヒトたちが観れば、『ゲゲゲの女房』は、反戦ドラマ、反国家主義的ドラマにみえた」ようだ。

NHKの朝ドラは『おしん』の頃からよく見ています。良質な作品が多く、毎朝これを見ないと一日が始まらないという人もいるでしょう。 しかし、近年の作品は思想性が色濃く反映されたものが多いように感じます。たとえば、2010年に放送された『ゲゲゲの女房』では、主人公の夫・茂が戦時中に南方の島・ラバウルの最前線に送られた戦争体験を語る場面があります。  壊滅した前線から味方の部隊に命からがらたどり着くと、茂は上官たちから「命より貴重な銃を捨ててよく帰ってきおったなぁ」「なぜお前だけ生きて戻ったんだ!」と責め立てられる。これは、モデルとなった水木しげるさんの実体験です。ただし、その叱責の後には「今回のことは不問に付す。但し、次の戦闘では必ず挽回せい!」という上官の台詞が続くのです。  ちょっとした判断ミスによって命が失われるような過酷な状況では、軍の上官たるもの、常に厳しくあらねばならない。これは仕方のないことです。ただ、「不問に付す」という台詞で上官の愛情を示しているにもかかわらず、映像では上官たちがとても憎々しい表情をしており、憎たらしい存在として描かれている。文章の場合と違って、映像作品ではその“余白”にさまざまな要素を作り手が盛り込めます。旧日本軍とその上層部を「絶対的な悪」に仕立てようとする作為的なものを感じてしまうのです。

ただ、当時は軍人だけではなく、民間人も空襲で殺されていく、そういう現実が目の前にあった時代です。愛する家族の命を守るために、自分ができることをしたい、そう考えるのが当時の一般的な国民の気持ちだったのではないでしょうか。 「戦争反対」は、戦争のない平和な時代だからこそ叫べるのであり、戦時下で戦争反対を唱えることは、目の前で多くの命が奪われていく現実からの“逃避行為”に過ぎませんでした。そういう時代に生きた当事者の気持ちを察すると、「戦争=人殺し」という単純な構図で描いたこのドラマは、あまりにも薄っぺらなものに見えてしまうのです。


この記事の執筆者は、水木しげる先生の『水木しげる伝 ~ボクの一生はゲゲゲの楽園だ~』(2001年)や『総員玉砕せよ!』(1973年)を読んでいないようだ。

水木しげる先生は、帝国軍人として、戦争に行かれた方だ。

『ゲゲゲの女房』(2010年)は、その体験談を比較的忠実に描写してあったと思う。

水木しげる先生の反戦思想は、実体験に裏打ちされたものであるから、そう簡単に否定はできない。

否定することができるのは、同世代の人だけだろう。

戦争を体験した世代は、戦争は人殺しだということを否定されなかったように思う。

プロフィールを見ると、この記事を書いたヒトは、1956年生まれなのだそうだ。
【PROFILE】1956年生まれ。静岡県浜松市出身。会社員、会社経営を経て国史研究家として活動。日本の正しい歴史を伝える自身のブログ「ねずさんのひとりごと」が人気に。著書に『昔も今もすごいぞ日本人!』、日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」』(いずれも彩雲出版刊)などがある。

「朝ドラ『戦争=人殺し』という描写の薄っぺらさを専門家批判」とあるが、証拠立てて批判しているわけではないようだ。

戦争を体験した世代が天寿を全うされ始めてから、戦争は人殺しではないという、妄想を抱くヒトが激増した。

戦争は人殺しだ。

戦争は人殺しだが、戦時国際法に違反しなければ、犯罪にはならないというだけだ。

戦争が、人殺しでなくなるというわけではない。

いくら、宣伝しても、

戦争に行って人を実際に殺した人たちに道義的同情があれば、一生罪業感から逃れることはできない。

その罪業感を感じなくするために、宣伝すれば、

相模原障害者施設殺傷事件の犯人と同じ考えを持ったニンゲンを量産することになるだろう。

日本維新の会、安倍自民党、日本会●の宣伝は、

戦前の宣伝と同じ匂いがする。

このブログで、陸軍中将佐藤鋼次郎の『国防上の社会問題』(冬夏社)について触れたが、冬夏社の同じシリーズ(日本社會學院調査部[編輯]の現代社會問題研究)の序言を近衛文麿(『革命及宣傳』)、松井茂(『犯罪問題』)、小河滋次郎(『本邦社會事業』)、桑田熊藏(『勞働者問題』)などが書いている。※松井茂、小河滋次郎、桑田熊蔵は社会教化運動の第一人者(漱石の親友米山保三郎と同郷の井上友一も社会教化運動の第一人者だったが既に亡くなっていた)。桑田熊蔵は漱石の同窓で中国地方(鳥取)の資産家の息子。『こゝろ』の私を鎌倉に誘った友人のモデルだったら面白いのだが  

近衛文麿は『革命及宣傳』の序で世論について書いており、宣伝や世論に並々ならぬ興味を持っていたようである。

昨今の安倍自民党や日本会●とかの宣伝を見ていると、近衛文麿が『革命及宣傳』に序を寄せた1921年ごろから、開戦へ向かう世相に似て来ているように思う。

あ、1921年は第一次安倍政権の2006年頃の世相で、今は  

もう、何が起きても不思議じゃない状況か  

※宣伝や世論に興味を持っていたためか、近衛文麿はアメリカとの開戦前に渡米した際、『世論』の著者のウォルター・リップマンと非公式にハワイかどこかで会談して、激論を交わしたらしい。近衛の自伝には、旧知の仲のように激論したといった趣旨のことがかいてあったように思うが、どこで出合っていたかは不明のようである。近衛は、西園寺公望にくっついてパリ講和会議に行き、たしか自伝には、新聞記者に紛れて会議を傍聴したと書いてあったように思う。リップマンもその時パリにいたようだから、この時、近衛とリップマンは知り合ったのかもしれない。会議を聞くために新聞記者に扮した近衛文麿が、第一次世界大戦で対独宣伝を仕切ったリップマンに教えを乞うたりしていたら、面白いのだが  。証拠はない。

※松井茂が愛知県知事時代に三重か愛知かで、言霊に関する古文書が発見され、松井はそれを入手して、言霊信仰を復活させたというネット上の噂がある。警察任官以来、宣伝に力を注いだ松井茂が、言霊信仰を復活、  でき過ぎた話だ。



以下、「反戦ドラマ? 反国家主義的ドラマ? 『ゲゲゲの女房』(2010年)を観た。」を再掲

 NHKの連続テレビ小説の『ゲゲゲの女房』(2010年)を観た。

 第34話に公安刑事が登場する。

 水木しげるの戦記漫画のファンクラブ「少年戦記の会」を、政治団体と誤解し、公安刑事が水木しげるの自宅を覗いたり、郵便ポストをあさったりするという描写がある。

特に
 女房(松下奈央)「やっぱり、家視とったののかな」
 しげる(向井理)「うん、どげした」
 女房(松下奈央)「ちかごろ、誰かに視られとるような気がするんです」
 しげる(向井理)「視られてる?」
 女房(松下奈央)「家の中を覗かれているみたいな…」
 しげる(向井理)「あ、そういえば俺も」
 女房(松下奈央)「あ~、気味悪い」

という茶の間での会話の場面は、公安刑事の気味悪さを見事に描写している。

 水木しげるの作品には、『水木しげる伝 ~ボクの一生はゲゲゲの楽園だ~』(2001年)や『総員玉砕せよ!』(1973年)など、自らの戦争体験に裏打ちされた反戦思想が如術にあらわれている作品がある。

『総員玉砕せよ!』は、NHKスペシャルで『鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争』(2007年)という題でテレビドラマ化されている。

 戦争大好き、危機管理利権よありがとうの犬党のヒトたちが観れば、『ゲゲゲの女房』は、反戦ドラマ、反国家主義的ドラマにみえたに違いない。




[再掲]安倍晋三銃殺で、ショーペンハウアーの言葉を思い出した。「復讐と呼ぶよりは刑罰と呼ぶほうがふさわしい」 [「安倍総理、日本国万歳!!」①] [「安倍総理、日本国万歳!!」①]

安倍晋三銃殺で、ショーペンハウアーの言葉を思い出した。

「ある人が大きな怪物的な不正」をこうむった場合、「途方もない怪物的不正行為が今後二度とけっしておこらないようになるということを求め」、 「圧制者をつけ狙い―中略―殺害し、あらかじめ覚悟していたとおりに自らは断頭台上の露と消えていくという例」、「これの目的とするところは復讐と呼ぶよりは刑罰と呼ぶほうがふさわしい」。そして、「この種の刑罰は、国家が処罰しようともしなかったしまた処罰することもできなかった行為、国家がその処罰に賛成していない行為にのみ向けられている」などと、ショーペンハウアーは述べている。


われわれはある人が大きな怪物的な不正をこうむって、いな場合によってはただ証人としてこのような不正に立会ったというだけで深い憤りの念を覚え、熟考の上、誰からの助けもなしに、不正の行使者に復讐することにおのれ自身の生命を賭けるという例を見ることが時折ある。われわれは彼が、例えば幾年月をかけて一人の強大な圧制者をつけ狙い、とうとう殺害し、そしてあらかじめ覚悟していたとおりに自らは断頭台上の露と消えていくというような例をも見ることがあるのである。いやむしろ、こういう人は断頭台で刑死するのを往々にして避けようとさえしていない。この人にとっては、自分の生命は、復讐のための手段としてしか価値がなかったのだといっていい。――

われわれが今、このような報復心の精神をとくと観察してみると、これは普通の復讐心、他人に苦しみを引き起こしてそれを眺め、自分のこうむった以前の苦しみをそれで和らげようとする復讐心とは大変に違っていることがわかるのである。いやむしろ、これの目的とするところは復讐と呼ぶよりは刑罰と呼ぶ方がふさわしいことにわれわれは気がつく。なぜならここには、本来、実例を示すことで未来に対して影響を及ぼそうとする意図(犯罪予防のこと)がひそんでいるからである。それにこの中にはいささかも利己的な目的というものがない。なにしろ復讐を行なった個人は刑死してしまうのだから、彼のための利己的目的はない。また法律によって治安を得ようとする一社会にとって利己的目的があるともいえない。なぜなら(圧制者に対する)この刑罰の執行は、個人によっておこなわれたのであって、国家によってでもないし、法の履行のためでもないからである。むしろこの種の刑罰は、国家が処罰しようともしなかったしまた処罰することもできなかった行為、国家がその処罰に賛成していない行為にのみ向けられているといっていいのである。――

彼はきわめて途方もない怪物的不正行為が今後二度とけっして起こらないようになるということを求めているのであって、死の恐怖すらこの復讐者をおどかさないのであるから、防御のしようもない復讐という一行為を例示することで、将来出てくるかもしれぬあらゆる不正行使者を威嚇しようとしているわけなのだ。


ショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』より



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[再掲]「JASSO理事長手記「奨学金シロアリ報道に反論する」『遠藤勝裕』 2018/12」学生ローン(JASSO(学生死苑機構)は奨学金と呼んで募集している)を「奨学金」と呼んで返済能力を超えた金銭を貸し付ける行為はヤクザがやれば不法行為だ。 [探偵化(警察化)するヒトビト]

「iRONNA(いろんな)」というサイトに

JASSO理事長手記「奨学金シロアリ報道に反論する」『遠藤勝裕』 2018/12/03


奨学金取り立てが「サラ金と同じ」でどうする『高橋知典』 2018/12/03


「奨学金は借りたくない」キャバ嬢学生の思いは本当に甘えなのか『北条かや』 2018/12/03


などという記事があった。

「JASSO理事長手記『奨学金シロアリ報道に反論する』」を書いた遠藤勝裕氏というのは、日銀(阪神淡路大震災の時の日銀神戸支店長らしい)からJASSO(学生死苑機構)に天下ったヒトらしい。JASSO(学生死苑機構)は財務省本省以外の天下りポストなのだろう。

JASSO(学生死苑機構)は文科省や財務省(日銀含む)などからの天下り職員の給与を捻出するための組織で、判事や弁護士は法科大学院(文科省所管)に天下りして、学生がJASSO(学生死苑機構)から金を借りていたりする。文科省/財務省/裁判官/弁護士たちの天下り先(老後を豊かに)を支える仕組みであるJASSO(学生死苑機構)はカレラにとってはなくてはならない組織なのである。

ゴーン氏ほどの額ではないが、ゴーン氏のようなめざましい実績は不要で、出勤すらしなくても高給と高額の退職金が約束されるのである。ポストは複数あって、半年から2年前後で入れ替わると言われており、大勢で食い荒らす姿を形容すると白アリと言えなくもないだろう。※テレビがないのでNHKがどういう意味で「白アリ」と報道したかは知らないが・・・。

「奨学金取り立てが『サラ金と同じ』でどうする」を書いた高橋知典氏は弁護士らしいが、今後彼が法科大学院に天下ったり某政党から立候補したりしないか確認しないと、批判しているのか批判の振りかは判然とはしない。

高橋氏は
日本学生支援機構の奨学金制度は、法的には「金銭消費貸借契約」であり、銀行や消費者金融からお金を借りることと変わりはありません。
と述べているが、

学生ローン(JASSO(学生死苑機構)は奨学金と呼んで募集している)は、返済免除特約付金銭消費貸借契約である。※日本育英会からJASSO(学生死苑機構)移行に際して、返済免除特約を一切履行していない。「オーバードクター九大研究室爆死事件」を起こしたオーバードクターは、この時期の奨学生とされている。

死んだら、返済免除になる。

日本語で「奨学金」は学問を奨励するための学資の給与を意味するが、

学生ローン(JASSO(学生死苑機構)は奨学金と呼んで募集している)死んだら、返済免除という返済免除特約がついている。

つまり、死亡にインセンティブが働く仕組みである。

この仕組みを分かりやすく言うと、

JASSO(学生死苑機構)が奨学金と呼んで募集している学生ローンは、死亡を奨励するための学資の貸付を意味している。


「『奨学金は借りたくない』キャバ嬢学生の思いは本当に甘えなのか」を書いた北条かや氏は著述業らしいので、儲かるテーマだから書いただけだろう。

北条かや氏は
奨学金のほとんどは、給付型ではなく貸与型だ。つまり、将来何十年にもわたって返済が求められる「借金」である。後で詳述するが、この借金を背負いたくないがためにアルバイトに追われ、中にはキャバクラや風俗などの水商売で働く学生もいる。奨学金を借りていないからといって、経済的に豊かな学生とは限らないのである。
などと書いているが、

JASSO(学生死苑機構)が奨学金と呼んで募集している学生ローンの返済のために風俗で働く被害者も多いらしい。このブログでは、外国のお金持ちに身請けしてもらえる可能性がある日本語教師を推奨している。ただし、日本語学校は文科省/警察(外事)/JICA(外務省の利権として有名https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I10570773-00)/入国管理局(法務省)/厚労省(日本語教師養成で問題多数発生)などの利害関係法人で、日本語教師は誰でも入会可能の高額会費の日本語学会に生き血をすすられる構造で、外国人技能自習生のような低賃金労働を強いられる。日本語学会の手法は、医療事務関係の派遣や請負をやっている上場企業の手法と同じで、医療法人が支出していた研修費を通信教育と称して低賃金の派遣パートなどに付け替える方法に近い。

このブログで、

日本語教師をフージェンヌと呼んだりしているが、

根拠なく誹謗中傷しているわけではない。

女王様を筆頭に?貞操観念ユルユルで世界に名をはせる日本人女性は・・・、

日本語教師として派遣された女子は派遣された外国の日本語教育機関で男子の取り合いをしてドロドロの修羅場を演じているとのもっぱらの噂である。そのうち殺人事件が起こるのではないかと心配である。※現地警察の捜査能力のためか?すでに起きていて私が知らないだけかもしれないが・・・。

多少顔やスタイルに難があっても女子は風俗で働けば学生ローン(JASSO(学生死苑機構)が奨学金と呼んで貸し付けた)の返済はできるかもしれないが、

男子、特にポスドクやオーバードクターは、(返済免除になるから)死ぬよりない。

その証拠に、JASSO(学生死苑機構)による不法行為によって自殺(元自衛官のためテロスキルが高かった?)に追い込まれた事例と思われる「オーバードクター九大研究室爆死事件」が起きている。

これからも、どんどん起きるだろう。※すでに起きていて私が知らないだけかもしれないが・・・。JASSO(学生死苑機構)が個人情報を理由に発表していないだけ?

偉い人たちが、
JASSO理事長手記「奨学金シロアリ報道に反論する」『遠藤勝裕』 2018/12/03

奨学金取り立てが「サラ金と同じ」でどうする『高橋知典』 2018/12/03

「奨学金は借りたくない」キャバ嬢学生の思いは本当に甘えなのか『北条かや』 2018/12/03
などと書いているが、

「奨学金シロアリ報道に反論」

「奨学金取り立てが『サラ金と同じ』」

「奨学金は借りたくない」

などという、表現はすべて誤りである。

いわゆる「JASSO(学生死苑機構)の奨学金問題」は、

JASSO(学生死苑機構)が学生ローンを奨学金(日本語では本来学資の給与を意味する)と呼んで貸付相手を募集し、消費者金融では違法となる金額を遙かに超えて貸し付けていることである。

そもそも、「奨学金返還訴訟」など、日本語としてあり得ないのである。

この奇怪な訴えを受理しているのは、

JASSO(学生死苑機構)と一蓮托生の裁判所(裁判官)である。

いくら声高に主張しても、文科省/財務省/裁判官/弁護士などが、インサイダーだから、一切問題にならない。※法定最低賃金未満で働かされても満額未払い賃金が支払われることのない労働審判の仕組みと奨学金返還訴訟はどことなく似ている。

奨学金は貸付金という前提になるから、違法ではないという論法になる。

文科省/財務省/裁判官/弁護士の馬鹿どもに言いたい。

日本語で「奨学金」は学資金の給与を意味する。

「奨学金」が「学資の貸与」を意味するのなら「学資の貸与」と法定されているものを、わざわざ『業務方法書』で「奨学金」と呼び変える必要はない。

「奨学金」が「学資の貸与」であるなら、「学資金」と呼ぶのが正しい日本語である。

「貸与奨学金」は日本語として意味不明だが、「貸与学資金」は普通の日本語能力で理解できる。

このような日本語を超越した解釈をしたら、すべての法律は形骸化する。

憲法の文言を宣伝で逆の意味に定義し直せることになる。

日本の大学の「法理学」などの講義では、ジョージ・オーウェルの『1984年』を教科書にしているに違いない。

「奨学金」を「学資の貸与」と解釈する文科省/財務省/裁判官/弁護士は、みんな等しく白アリだ。

日本民族のジェノサイドの実行者である。

『広辞苑』(『辞苑』)の「奨学金」の意味を日本育英会(当時は大日本育英会)の誕生時に遡ると、「奨学金」には学資金の貸与の意味はなく、給与の意味しかなかった。その後日本育英会の奨学金制度が普及し、日本育英会の奨学金(実質的給与となる貸与制度)が返済免除特約付金銭消費貸借契約の形式であったため、貸与の意味が生まれたにすぎない。「奨学金」が単なる金銭消費貸借契約を意味するものでないことは、「奨学金」という語の本来の意味から考えれば、考えるまでもないことである。

以前述べたが、
2018年10月12日の『朝日新聞』のサイトに「奨学金返済、逃れ続ける『裏技』 違法ではないが…」という記事があった。
大学在学中は奨学金の返済が猶予される制度を使い、卒業後に学費の安い通信制大学などに在籍して、返済を免れ続ける「裏技」がネット上に紹介され、問題になっている。

JASSOには、大学などに在学中は返済が猶予される制度があり、男性は私大卒業後、通信制大学に在籍することで返済を猶予されている。通信制大学の学費は、入学金と授業料を合わせても年数万円程度で、返済額より大幅に安い。在学期限は10年までだが、「生涯学習」をうたう同大は何度でも再入学が認められている。一般の大学と異なり、単位取得が在学の必須条件ではない。  JASSOの規定には、本人が死亡した場合、返済が免除される条項もあり、籍を置き続ければ、最終的には奨学金が免除される。

JASSO広報課は「サイトのようなやり方で在学猶予を利用されている方がいるか否かは、把握していない」と説明する。一方、JASSOのある職員は「実際に裏技利用者がいる ことは明白。対策が必要。内部で問題視する声もある」と話した。

中京大・大内裕和教授(教育社会学)の話 通信制大学に籍を置いて返済を猶予する方法は、規定のどこにも違反していない。返済猶予のために在籍しているのかを見抜くことも難し いため、放置されているのが現状だ。現在の奨学金制度は、返済能力の有無が判断不能な段階 でお金を貸す仕組みで、そもそもの制度に不備がある。

などと書いてあった。

そもそも、JASSO(学生死苑機構)がこの記事でいう「裏技」の存在を認識していたのなら、JASSO(学生死苑機構)の伝家の宝刀の奨学金返還訴訟に訴えの利益があるのだろうか?

奨学を目的とするなら、JASSO(学生死苑機構)は取り立てでなく、まず大学在学を推奨しなければならないのであるから、日本語上意味不明の奨学金返還訴訟を起こす意味がない。※ただしポスドクやオーバードクターにこれを推奨するとうつ病や自殺の原因になるだろう。

取り立てないと、天下り先がなくなるから、日本語の意味を完全に無視して、奨学金を金銭消費貸借契約だと言ってゴリ押しする文科省/財務省/裁判官/弁護士などなどのJASSO(学生死苑機構)関係者たち。

こんな奴らに、勲章やってどうするんだ。


※裁判所を信じているヒトがいるかもしれませんが・・・

2018年12月3日の『神戸新聞』のサイトに「裁判官が判決後に訴訟関係者を突き飛ばす はずみで20代女性けが 捜査協力を一時拒否」という記事があるので紹介しておきます。
神戸地裁姫路支部の50代の男性裁判官が11月、担当する民事訴訟の関係者だった50代男性を支部の敷地内で突き飛ばし、はずみで近くにいた20代女性に軽傷を負わせていたことが3日、分かった。発生直後、支部側は、姫路署の捜査に対し「守秘義務がある」として協力を一時拒否していた。
という内容です。

「姫路署の捜査に対し『守秘義務がある』として協力を一時拒否」というところを注目してください。どこかで聞いた話です。

まるで、警察です。

さらに、裁判所は「50代の男性裁判官」と、裁判官の名前を明らかにしていません。

まさに、警察です。

警察レベルのヒトばかりだから、「奨学金返還訴訟」などという、日本語としてあり得ない訴訟を受理しているのでしょう。

「50代の男性裁判官」は、逮捕もされておらず、警察官待遇です。

一般市民なら、暴行や傷害で逮捕され、2週間ほど拘留されることでしょう。

2週間ほど拘留されるとえん罪でも認めてしまうそうです。

恐るべし代用監獄。

ま、

日本はどこにいても監獄(一望監視施設?パノプティコン?)みたいだが・・・。


※JASSO(学生死苑機構)が奨学金と呼んでいる学生ローンを喩えると、地震や風水害などの自然災害の被災者を支援するための被災者支援機構を作って、見舞金と呼んで返済能力のない被災者に消費者金融の貸付限度額を遙かに超える額を貸し付けるようなもので、人間の所業とは言えない。あ、だから「探偵化(警察化)するヒトビト」なんだった。




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