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[再掲]安倍晋三銃殺で、ショーペンハウアーの言葉を思い出した。「復讐と呼ぶよりは刑罰と呼ぶほうがふさわしい」 [「安倍総理、日本国万歳!!」①] [「安倍総理、日本国万歳!!」①]

安倍晋三銃殺で、ショーペンハウアーの言葉を思い出した。

「ある人が大きな怪物的な不正」をこうむった場合、「途方もない怪物的不正行為が今後二度とけっしておこらないようになるということを求め」、 「圧制者をつけ狙い―中略―殺害し、あらかじめ覚悟していたとおりに自らは断頭台上の露と消えていくという例」、「これの目的とするところは復讐と呼ぶよりは刑罰と呼ぶほうがふさわしい」。そして、「この種の刑罰は、国家が処罰しようともしなかったしまた処罰することもできなかった行為、国家がその処罰に賛成していない行為にのみ向けられている」などと、ショーペンハウアーは述べている。


われわれはある人が大きな怪物的な不正をこうむって、いな場合によってはただ証人としてこのような不正に立会ったというだけで深い憤りの念を覚え、熟考の上、誰からの助けもなしに、不正の行使者に復讐することにおのれ自身の生命を賭けるという例を見ることが時折ある。われわれは彼が、例えば幾年月をかけて一人の強大な圧制者をつけ狙い、とうとう殺害し、そしてあらかじめ覚悟していたとおりに自らは断頭台上の露と消えていくというような例をも見ることがあるのである。いやむしろ、こういう人は断頭台で刑死するのを往々にして避けようとさえしていない。この人にとっては、自分の生命は、復讐のための手段としてしか価値がなかったのだといっていい。――

われわれが今、このような報復心の精神をとくと観察してみると、これは普通の復讐心、他人に苦しみを引き起こしてそれを眺め、自分のこうむった以前の苦しみをそれで和らげようとする復讐心とは大変に違っていることがわかるのである。いやむしろ、これの目的とするところは復讐と呼ぶよりは刑罰と呼ぶ方がふさわしいことにわれわれは気がつく。なぜならここには、本来、実例を示すことで未来に対して影響を及ぼそうとする意図(犯罪予防のこと)がひそんでいるからである。それにこの中にはいささかも利己的な目的というものがない。なにしろ復讐を行なった個人は刑死してしまうのだから、彼のための利己的目的はない。また法律によって治安を得ようとする一社会にとって利己的目的があるともいえない。なぜなら(圧制者に対する)この刑罰の執行は、個人によっておこなわれたのであって、国家によってでもないし、法の履行のためでもないからである。むしろこの種の刑罰は、国家が処罰しようともしなかったしまた処罰することもできなかった行為、国家がその処罰に賛成していない行為にのみ向けられているといっていいのである。――

彼はきわめて途方もない怪物的不正行為が今後二度とけっして起こらないようになるということを求めているのであって、死の恐怖すらこの復讐者をおどかさないのであるから、防御のしようもない復讐という一行為を例示することで、将来出てくるかもしれぬあらゆる不正行使者を威嚇しようとしているわけなのだ。


ショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』より



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