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たけし軍団のなべやかんという芸能人によると、「霊園前派出所」というのがあるらしい。 [警察の怪談]

 警察官の自殺が頻発しているので、よくもま~、同僚が自殺した同じ交番で勤務できるものだ。お化けが出ないのかね~と思って、Googleで幽霊交番というキーワードで検索してみた。

 幽霊交番で検索すると、たけし軍団のなべやかんという芸能人が開設している「なべやかんだ!!」というブログが引っかかった。

 2008年03月15日の記事に「霊園前派出所」という記事がある。

 「雑誌『荷風』の取材で、雑司が谷霊園に行ってきた。その時、交番のお巡りさんと色々話をしていたら、お巡りさんが『この交番の二階に幽霊が出るんですよ。若い警官が何人も見てるんですよね』と言っていた」のだそうだ。

 やっぱり、と思ったが…

 「普通『お巡りさん、大変です。幽霊が出ました!』なんて交番に駆け込んでも、酔っ払ってるかラリってるかって思われるけど、この交番だけは違う。話が通じる」って、「ラリってる」?「話が通じる」?って、まさか…

 この交番の警察官、みんなラリってるんじゃ…

 「霊園前派出所」じゃなくて、ラリパッパ派出所なんじゃ…

 幽霊より、盗撮犯や、痴漢の方が出没しそうだ。

 こういう交番の警察官が、ストーカー殺人したりするのだろうか?

 このブログを見た警務部監察課の警察官は、きっと明日から、ラリパッパ警察官を発見するために「聞いたで~、このハコお化け出るんやって?」と交番を巡視することだろう。


 どの程度の確立で幽霊警察施設に配属になるかざっくり計算してみると、13.4%くらいになりそうだ。
警察施設数(警察本部・警察署・交番など)は、可住地面積100k㎡当たり12.0ヵ所らしいから、約14,784ヵ所
 3,779.23(100k㎡総面積)×32.6%×12.0=14784.34776≒14,784ヵ所
年間33人の自殺者とすると60年間で1,980ニン
 1,980÷14784=0.13419913419913419913419913419913…≒13.4%

 ちなみに、呪われた拳銃が貸与される確立は、0.1%。
拳銃自殺者が好評自殺者33ニンの内の5ニン前後と考えると、
 1,980×5÷33=300ニン
拳銃が再利用されていて自殺使用の重複がないるとすると、
 300÷253,384丁=0.0011839737315694755785684968269504≒0.1% 


「2008年03月15日 霊園前派出所  ちょっと前、雑誌『荷風』の取材で、雑司が谷霊園に行ってきた。その時、交番のお巡りさんと色々話をしていた ら、お巡りさんが『この交番の二階に幽霊が出るんですよ。若い警官が何人も見てるんですよね』と言っていた。普通『お巡りさん、大変です。幽霊が出まし た!』なんて交番に駆け込んでも、酔っ払ってるかラリってるかって思われるけど、この交番だけは違う。話が通じる。記念に交番の写真を撮ったんだけど、光の加減か?幽霊の仕業か?不思議チックに撮れたのだ。」http://72.14.235.132/search?q=cache:r90ZHh6a9kMJ:blog.livedoor.jp/yakannabe/archives/50943556.html+%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E4%BA%A4%E7%95%AA&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

⓪「警察の怪談」がないという怪談 [警察の怪談]

 旅館やホテル、学校など大勢の人が集まる場所を舞台にした怪談、山や海の事件や事故の現場、病院のように人の生死に関係のある場所の怪談はよくあります。ところが、不思議なことに不特定多数の人が集まり、事件や事故、人の生死に直接かかわる場所の警察施設での怪談は、ほとんど聞きません。

 市販されている怪談を扱った書籍などでは、自殺者の霊が怪異を引き起こしていると暗示するものが結構あります。三大怪談の『番町皿屋敷』などもそうです。怪談集には、自殺に関する怪談が必ずあると言っていいくらいです。それでも不思議なことに、同じ交番で二人つづけて拳銃自殺するなど新聞で「呪われた交番」と報道される場所もあったり、毎年自殺者が多く出ていたりする警察施設を舞台にした怪談がほとんどありません。

 そればかりか、警察官に関連する殺人事件や事故に関する怪談もありません。

 さらに不思議なことには、拷問で死人が出ることもあった戦前の警察を舞台にしたものすらお目にかかることができないのです。国立国会図書館の書籍を検索しても「病院の怪談」(6件)や「学校の怪談」(138件)はありますが、「警察の怪談」(0件)や「交番の怪談」(0件)は見つけることができません。「警察」「怪談」で検索して、ようやく田中貢太郎さんの『日本怪談大全 第2巻 幽霊の館』に「警察署長」という怪談が見つかるくらいです。ちなみに「警察署長」はロシアの警察署長に関する怪談でした。

 記憶する限りでは、警察施設に関する怪談は、タレントのなべやかんさんのブログに「霊園前派出所」という記事があるくらいです。なべやかんさんは、ある交番に勤務する警察官から交番の二階に幽霊が出ると聞いたそうです。テレビ番組でも、警察官の霊を扱ったお話にはとんとお目にかかれません。ずいぶん前に、歌手の野口五郎さんの体験談をもとにしたという「旋律の一夜!殺された警官の無念!」(「新あなたの知らない世界」で放映された)があるくらいです。

 日本では毎年33人(「平成六年度から平成十五年度までの十年間に自殺した現職警察官の数は全国で三百三十一名」)の警察官が自殺され、その内の5人程度の警察官が警察貸与の拳銃を使用して警察施設内(特にトイレが多いようです)で自殺されていると言われています。新聞報道で確認できる拳銃自殺は2006年度から2010年度の5年間で30人、平均すると年間平均拳銃自殺者数6.0人となっています。警察官の年間平均自殺者数33人というのは、少々古いものですが、国会質問で明らかになった数字で、その後、劇的に警察官の自殺者数が減ったという報道がないことから、少なくとも当時と同じ状況が続いていると思われます。

 この年間平均自殺者数33人という数字から計算すると警察官10万人当たりの自殺率は13人になります。日本全体で10万人当たりの自殺率は24人程だそうですから、この数を多いと捉えるか少ないと捉えるかは微妙です。

 なぜなら、警察官選考試験では、一般教養だけでなく運動能力も重視され、面接も入念に行われていて、心身ともに健康な方が警察官になられているはずだからです。

 つまり、警察官になられた時には自殺の要因は、なかったと考えられるのです。

 不思議なことに、心身ともに健康な方が警察官になったとたんに、うつ病等の精神疾患になるようで、昔から警務(一般企業で言う人事)関係の書籍で警察官は、うつ病等になりやすいと指摘され続けています。

 日本社会では自殺の原因をうつ病と結び付ける慣習があり、現在も自殺原因の一つとされています。

 最近は広島大学などで血液を使ってうつ病の診断をするという研究がすすめられているようですから、警察官選考試験や採用時に血液検査をして数カ月おきに検査してデータを収集すれば、警察官のうつ病発症メカニズムが明らかになるかもしれません。

 近いうちに、警察官の自殺が激減し自殺率が限りなく0に近づく日が来るかもしれません。そうなればよいのですが…

 自殺率やうつ病発症率はともかく、警察官に採用される時点では、心身ともに健康だったはずの方が自殺を決意して、その多くが警察施設内で実行されるわけですから、警察官が自殺されるのには相当な理由がありそうです。

 警察施設を怪談の舞台としてみれば、警察官の自殺の場になるばかりではなく、各警察署には霊安室があり、一般の自殺者や事故死者などで既に亡くなられている場合などは、警察施設に仮安置されています。

 その点では、病院の霊安室とおなじようなものですが…

 強いて違いを言えば、警察の場合は病死がほとんどなく不慮の事故や自殺、殺人の被害者など無念の死を遂げられた方々が霊安室にやってこられます。

 警察施設には代用監獄などと揶揄されている留置場などもあって、まれに自殺もあります。兵庫県警察本部の留置場で尼崎連続殺人事件の容疑者が自殺したことが記憶に新しい。それはさておき、留置場には殺人犯も留置されるわけですから、警察施設は怨念渦巻く空間と言っても過言ではないはずです。

 それでも、警察施設や警察装備に関する怪談がないのです。

 警察施設や警察装備に関する怪談がないこと自体が怪談なのかと思えるほどです。

 そこで、一般的な怪談によくみられる自殺者が霊現象を起こすというお話が事実だとの前提で、怪奇現象が起こる可能性のある警察施設に配属になる確率を概算してみました。

 総務省統計局「統計でみる都道府県のすがた 2011」によると、2009年度の警察署・交番その他の派出所・駐在所数は、可住地面積100k㎡当たり11.8か所だそうです。同年度の日本の総面積3,779.47(100k㎡)、可住地面積割合32.6%ですから、2009年度の警察署・交番その他の派出所・駐在所数は、14,539か所(3,779.47×32.6%×11.8か所=14,538.8…)になります。年間平均自殺者数33人とすると60年間(日米安全保障条約調印の1951年以降を現行警察と想定)で1,980人(33人×60年=1980、警察署数と自殺者数の比が等しいものとして概算)になり、幽霊警察施設に配属になる確率は13.6%(1,980÷14,539=0.1361…)になります。平均3年で転勤になると考えると、退職までに一度は幽霊警察施設で勤務できるということになりそうです。

 ちなみに、拳銃自殺に使用された拳銃が貸与される確率は、0.1%です。毎年33人の警察官の自殺者の内の5人が拳銃自殺するとして計算すると、60年間で1,980人中300人(1,980 × 5/33=300人)が拳銃自殺されたことになります。2009年度の警察官数は、警察官数は総人口1,000人当たり1.98人(総人口10,000人当たり19.8人)ですから、日本の総人口12,751万人から計算すると、252,470人(12,751万人×19.8人=252,469.8人)です。全警察官に拳銃が貸与され、拳銃が再利用されているとすると、0.1%(300÷252,470丁=0.0011…)になります。

 警察官の自殺者に関する統計資料が入手困難(警察についての分析や批判は今なおタブー)なため、あまり意味のない数字ですが、警察施設が病院や学校など他の怪談の舞台になる施設と比較しても、決して劣らないくらいの霊現象があっても不思議ではない場所だということをご理解いただくためにあえて計算してみました。

 警察官には、自殺者ばかりでなく殉職者もいらっしゃいますから、もっと警察施設を舞台にした怪談があっても不思議ではありません。

 警察官の年間殉職者数については、「明治7(1874)年の創設以来の殉職者が合祀されている。ちなみに、平成7年までの122年間では約5400名が合祀されていて、年間平均にすると44.3名となる」と、年間平均殉職者数約44人説があります。ただし、この殉職者数には、西南戦争の戦死者、コレラなど伝染病での死者、第二次世界大戦時の空襲による死者が含まれていると考えられることから、平時は自殺者数より少ないと思われます。

 ともかく、怪奇現象が実在するなら一般社会同様に警察施設でも、怪奇現象が起こる蓋然性はあるのです。

 一般社会で怪奇現象が起こっていて、警察だけで起きないということには、何か目に見えない強い力が働いているかのようです。

 何か見えない力が働いて『警察の怪談』がないのだとしたら、『警察の怪談』がないという怪談以上の怪談はないでしょう。


①警察官は人間失格である! [警察の怪談]

  夏目漱石001.png

  「『警察官は人間失格である!』とは、何て非常識なことを言うんだ!」

とお叱りを受けるかもしれません。でも、私が気分に任せて「警察官は人間失格である!」と口から出まかせを言っているわけではありません。

 
 この言葉は『吾輩は猫である』で有名な国民的作家、夏目漱石の言葉を要約したものです。漱石は 明治四十年四月、東京美術学校での講演(『文芸の哲学的基礎』として公刊)で、聴衆に対して次のように語りかけています。

「諸君は探偵というものを見て、齢するに足る人間とは思わんでしょう。 ――中略―― まず彼らの職業の本分をいうと、もっとも下劣な意味において真を探ると申しても差支えないでしょう。それで彼らの職務にかかったありさまを見ると一人前の人間じゃありません。道徳もなければ美感もない。荘厳の理想などはもとよりない。いかなる、うつくしいものを見ても、いかなる善に対しても、またいかなる崇高な場合に際してもいっこう感ずることができない。できれば探偵なんかする気になれるものではありません。探偵ができるのは人間の理想の四分の三が全く欠乏して、残る四分の一のもっとも低度なものがむやみに働くからであります。かかる人間は人間としてはむろん通用しない。人間でない機械としてなら、ある場合にあっては重宝でしょう。重宝だから、警視庁でもたくさん使って、給料を出して飼っておきます。しかし彼らの職業はもともと機械の代りをするのだから、本人どももそのつもりで、職業をして居るうちは人間の資格はないものと断念してやらなくては、普通の人間に対して不敬であります。」(『日本の名著 42』中央公論社、105-106頁。)

 引用した漱石の講演の初めに「諸君は探偵というものを見て」という言葉があります。この言葉を見て、「なんだ、漱石は警察官のことを言っているんじゃなくて、探偵のことを言っているんじゃないか」とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。
 
 たしかに、『名探偵コナン』とか『金田一少年の事件簿』に出てくる探偵と警察官とは、まったく違うものです。そう考えると、漱石は警察官一般のことではなく、探偵のことを言っているようにも思えます。でも良く考えると、コナン君や金田一君は、私立探偵です。探偵に「私立」を付ければ私立の探偵です。では、探偵に「私立」と付けなければ何を意味するのでしょうか。

 「私立」の反対は「公立」と考えるのが一般的ですから、ただ探偵と言えば、公立の探偵ということになります。公立の機関で探偵のように犯人を捜す職務を担当しているのは刑事です。つまり公立の探偵といえば、テレビドラマでよく見る刑事のことです。

 テレビドラマの刑事は、刑事課に勤めている主に私服で活動する警察官です。でも、現実には刑事課以外の警察官も私服で活動する場合があって、私服警察官を見ても、我々市民には刑事課勤務なのか交通課勤務や地域課勤務なのかといった違いは分かりません。私たち庶民の目から見れば、探偵は刑事より広い意味がありそうです。つまり探偵と言えば私服警察官のことを指して言っているということになりそうです。では、漱石が言う探偵とは何でしょうか。

 引用した講演で漱石は「重宝だから、警視庁でもたくさん使って、給料を出して飼っておきます」と言っています。漱石は警視庁でたくさん使っている職員を探偵と呼んでいるようです。たくさんですから、刑事という一部の警察官を指して言っているのではないようです。当時、警察には警察官以外にも小遣い(現在で言う一般職員)と呼ばれる職種があったようですが、たくさんはいませんでした。漱石が言う探偵は、警察官の一部の刑事や小遣いではなく、警視庁にたくさんいる警察官以外には考えられません。つまり、漱石は、私服警察官だけではなく、警察官一般のことを総称して探偵と呼んだようです。

 余談ですが、子供の遊びにケイドロ(警察と泥棒)とかドロケイ(泥棒と警察)という鬼ごっこのような遊びがあります。中高年の皆さんなら一度はした経験がおありかと思います。このケイドロ、いつ頃からある遊びかは定かではありませんが、地域によっていろいろな呼び方があるそうです。私の育った地域では、ケイドロと呼んでいましたが、ドロジュン(泥棒と巡査)、ジュンドロ(巡査と泥棒)、ドロタン(泥棒と探偵)などたくさん呼び名があるそうです。この遊びの名前からも、わたしたち庶民の間で、「探偵」が「警察」や「巡査」(警察官)と同じように警察官を総称する言葉として使用されていたことが伺えます。

 さて話を戻しますと、漱石は探偵、つまり警察官という「職業をして居るうちは人間の資格はないものと断念してやらなくては、普通の人間に対して不敬であります」と、はっきり言っています。漱石は探偵という「職業をして居るうちは人間の資格はない」と言っています。「人間の資格はない」というのですから、簡潔にいえば「人間失格」ということになります。つまり、探偵は警察官の事ですから、先に引用した漱石の講演での発言を要約すれば、「警察官は人間失格である」ということになってしまいます。

 漱石は、探偵(警察官)について「彼らの職務にかかったありさまを見ると一人前の人間じゃありません」「かかる人間は人間としてはむろん通用しない」とまで、言っています。

 「漱石は、ちょっと言いすぎなんじゃないか」とも思いますが、帝国大学を卒業し、留学までして、『文学論』という膨大な量の論文を書いて、文部省から博士号まで送られた(拒否したそうですが…)学者でもある漱石が「文芸の哲学的基礎」と題した東京美術学校での講演で、「警察官は人間失格である」というのですから、わたしたち凡人が浅はかな考えで、感情的に「警察官は正義だ」とか「警察官は正義の味方だ」と言って目くじらを立てても、覆ることのないことなのでしょう。

 小林多喜二のような左翼作家が「警察官は人間失格である」と言うのではなくて、国民的作家の夏目漱石が言うのですから、「警察官は人間失格である」ということがイデオロギー的な偏向から導き出された、捏造された概念の一つと単純に決めつけることはできません。

 わたしたちは、漱石の「警察官は人間失格である」という言葉を、学問的に考えて導き出された、一つの真理なのだと理解する必要があるのではないでしょうか。

 こう言うと必ず、人間の考えには多種多様あって、漱石の考えだけが真理だとは言えないとおっしゃる方がいらっしゃいますので、その方々のために「警察(官)は神様である!」という信念もご紹介しておきましょう。





②警察(官)は神様である! [警察の怪談]

 世の中は広いもので、漱石のように、「警察官は人間失格である」と言い切る人もいますが、「警察官は神様になる」と信じている人たちもいます。

 佐賀県唐津市には、明治時代の警察官増田敬太郎巡査を祭った神社があるのだそうです。RKB毎日放送では、「この町で、増田敬太郎巡査のことを聞いてみると…。警察官で神として祭られているのは全国でも増田さまだけ、と高串地区の人たちは胸を張ります」と報道していました。たしかに、民間で神様として祭られている警察官は増田巡査(増田さま)だけかもしれません。

 「警察官は神様になる」と信じているのは、田舎のおじさんおばさんばかりではありません。じつは、警視庁には弥生神社(現弥生堂)、山形県には山形県警察招魂社、道府県警には殉職した警察官を祭る殉職警察官慰霊碑などがあります。どこの警察でも昔から、殉職警察官を神道式で祭っていますから、日本全国どこの警察署の警察官が殉職なさっても、すべて神様になられます。

 警視庁の弥生神社は、弥生堂と名称変更され神道式の慰霊祭から、無宗教の慰霊祭に変更されているそうですが、祭神については「○○柱」という数え方を継続しています。ほかの県警の殉職警察官慰霊碑でも祭神について警察創設以来「○○柱」の英霊と呼んでいます。多様な意見を入れ、諸事情を考慮して、形式的に無宗教としたのでしょうが、今なお神様と信じられているようです。内心の事ですので踏み絵でもしなければ確認はできませんが、突然、神様が何でもないモノになったというより、未だに神様であると信じられている方が、人間の情として自然で安心できます。江戸時代の隠れキリシタンの例をあげるまでもなく、信仰というものはそういうものでしょう。一朝一夕に、人間の信念は変わるものではないのです。

 実際に「警察官は神様になる」と信じていても、「私は神様になる」とか「私は神様です」とはっきり言う人はあまりません。いたとすればコメディアンかカルト教団の教祖様くらいのものです。ドリフターズの志村けんさんのように「あたしゃ神様だよ」と言えば、ギャグにしかなりません。カルト教団の教祖様が「私は神である」とおっしゃるかもしれませんが、一般の人が「私は神である」と本気で言えば、気の毒がられて患者扱いされることでしょう。

 おなじように、「わたしは、正義の味方だ」と言うのも、アニメや実写のヒーロー戦隊ものの主人公たちぐらいでしょう。そういうキャラクターを真似て「わたしは、正義の味方だ」と言って場を和ませるために笑いを誘おうとする人はいるかもしれません。弁護士法の影響などで「私は社会正義を実現したい」と抱負を語る人はいるかもしれませんが、本気で一人称を使って「わたしは、正義の味方です」「わたしたちは、正義の味方です」と言うと、気の毒がられて患者扱いされるのがおちです。

 ところがです。警察官募集広告などの警察の方々が総力を挙げて展開している広報活動では、「警察(官)は正義」とか「警察官は正義の味方」といった言葉が頻繁に使われています。「警察官は人間失格である」と考える漱石なら「あり得ないことだ」と言って一笑に付すことでしょうが、今の日本には「警察(官)は正義である」とか「警察官は正義の味方である」といった表現に対して苦情を言う人はだれもいません。苦情を言うどころか、「警察(官)は正義である」とか「警察官は正義の味方である」という国民も多いようです。

 どうやら日本には、「警察官は正義の味方である」とか「警察(官)は正義である」といった表現を「警察官は人間失格である」という考えと「警察官は神様になる存在である」という信念のちょうど真ん中にある考だと受けとめている人々が多いようです。

 そもそも私たち日本人が「正義」という言葉を使う時は、ハーバード大学で履修学生の数の最高記録を更新したという政治哲学のマイケル・サンデル教授の授業「Justice(正義)」で取り上げられるような意味で「正義」を語っているのではなさそうです。もっと、素朴に「正義」という語を使っているように思えます。哲学的な難しい意味の「正義」ではなく、「正義の味方」の延長線上に「正義」があるかのようです。ところで「正義の味方」というのは何なのでしょうか。

 編集家の竹熊健太郎さんによると、「正義の味方」という言葉は、テレビドラマ『月光仮面』(昭和33年2月24日から翌34年7月5日まで放送)の原作・脚本を手懸けられた川内康範さんが作られた言葉なのだそうです。川内さんは、原作脚本だけでなく『月光仮面』の主題歌「月光仮面は誰でしょう」の作詞もなさっていて、その歌詞の中で「月光仮面のおじさんは 正義の味方よ善い人よ」と表現なさっています。それが日本で初めて「正義の味方」という言葉が使用された例なのだそうです。

 竹熊さんが川内さんに「なぜ正義ではなく、味方なのでしょうか」とお訊ねになったところ「(月光仮面の発想は)月光菩薩という仏に由来しているんだけど、月光菩薩というのは脇仏(わきぼとけ)でね、決して主役じゃないんだ。つまり、裏方なんだな。だから“正義の味方”なんだよ。この世に真の正義があるとすれば、それは神か仏だよな。だから月光仮面は神でも仏でもない、まさに人間なんだよ」と答えられたそうです。川内さんのお考えでは、この世に正義があるとすれば神仏ぐらいで、月光仮面は神仏でなくただの人間なのです。だから、月光仮面は正義ではなく正義の味方ということなのです。

 「正義の味方」という言葉の作者の意図に忠実に、「警察官は正義の味方である」という言葉の意味を考えると、「警察官は神仏の味方である」ということになります。そして、「警察(官)は正義である」は、「警察(官)は神仏である」と言っているに等しいことになってしまいます。

 警察の方々は、警察官募集広報で「警察官は正義の味方である」とか「警察(官)は正義である」とポスターに書いたり、映画館等で放映している警察官募集CMで使用されたりしています。つまり日本警察が、自分自身で「警察官は正義の味方である」とか「警察(官)は正義である」とか言っているのです。これでは、志村けんさんの「あたしゃ神様だよ」というギャグと同じになってしまいます。

 ところが、だれも警察が「警察官は正義の味方である」とか「警察(官)は正義である」と言っても笑う人がいないのです。

 警察が「警察官は正義の味方である」とか「警察(官)は正義である」と言っても、誰も笑わないということは、日本人の多くが素朴に「警察官は正義の味方である」とか「警察(官)は正義である」と信じているということの証しなのではないでしょうか。

 きっと私たち日本人は、お盆にお墓参りをして先祖の冥福を祈り、12月にキリストの誕生日のクリスマスを祝い、正月に初詣をして柏手を打つように、素朴に「警察(官)は正義である」と信じて、(安全)神話を作ってきたのでしょう。




③警察はタブー 「警察の怪談」それは「いつもあること」 [警察の怪談]

 素朴に、「警察官は正義の味方である」とか「警察(官)は正義である」と信じている人々は、警察(官)を疑うことを知りません。疑うことを知らない善良な国民ですから、ほとんどの方々は、警察記者クラブでの発表や、それを基にして書いた新聞記事に物理学的な因果関係を超越した現象などが記載されているとは思ってもみません。もし、それに気付いていても、いつもあることだからと、気にとめることはないはずです。

 実は、新聞報道等が事実なら、警察では、物理学的な因果関係を超越した現象などが起こっています。物理学的な因果関係を超越した現象は、科学者の探究心を大いに刺激して研究の対象になっても不思議はありません。ところが、そのことに気付いて、それらの現象について研究する学者はほとんどいません。

 なぜなら、日本では、警察に関する研究はタブーだと言われているからです。東京大学名誉教授の政治学者篠原一さんが、ある本の「はしがき」で「警察の分析・批判はいまなおタブーの一つ」と書いておられます。つまり、日本では日本の警察に関する研究ができないのです。

 これは、東大名誉教授の篠原さんの特別な感想というより、むかしから良く言われていることです。学者は研究で生活しているわけですから、生活まで捨ててタブーとされていることを研究しようという人はいません。かりにタブーを破って研究した人がいたとしても、今なお日本社会のタブーですから、結局、学問として認められません。学者でいたいなら、警察について研究しないというのが、常識のある学者の判断なのでしょう。

 常識となっているせいか、篠原さんのようにことさらに主張する人はめったにいらっしゃいませんが、日本では現在も警察の分析・批判はタブーなのです。なぜ警察の分析・批判がタブーなのかさえも定かではありません。俗な言い方をすれば、きっとそれは、お守りを粗末にしたり、神社やお寺で粗暴な振る舞いをしたりする人がいないのと同じなのではないでしょうか。だれもが、お守りを粗末にすると何か悪いことが起こりそうな気分になるものです。日本人としての常識のある学者たちは、警察の分析・批判をすることが、お守りを粗末にすることのように感じるのでしょう。

 そんな常識のある学者たちに、「なぜ警察を研究しないのですか」とお尋ねすれば、「たまたまだ」とお答えになることと思います。おそらく、「偶然、警察が研究分野と関係がなかっただけだ」とおっしゃるのではないでしょうか。不思議なもので、偶然が重なって社会的なタブーにまでなってしまうと、そこに何者かの意志が働いていて、一つの人格が潜んでいるかのように見えてきます。

 学校や会社でのいじめ事件などで、いじめの加害者や教師を含めた傍観者は「たまたまだ」と自己弁護します。いじめ事件では偶然が重なって、必然的に人が亡くなります。そんなときに、原因を探るとかならず、「たまたま」や「偶然」といった言葉の力で、責任が雲散霧消してしまいます。「たまたま」といってのける人に責任がないのなら誰に責任があるのでしょうか。私には、この「たまたま」とか「偶然」が重なって、ある人格が形成され、その人格がいじめの被害者を攻囲し死に至らしめたように思えてなりません。「偶然」にはそういう不思議な力があるような気がします。

 学校や会社にいじめが溢れる日本社会を見ていると、たまたまあることが、いつでもどこにでもあることのように思えてきます。

 小泉八雲の『怪談・奇談』に「いつもあること」というお話があります。あるお坊さんが修行僧の頃に旅の途中であるお寺のお堂に泊めてもらった時の体験談です。お寺のお堂に泊めてもらったのは良かったのですが、和尚さんが法事で出かけていて、尼さんしかいないはずなのに、真夜中にお堂から木魚を叩く音と念仏が聞こえてきてお坊さんはなかなか寝付けません。翌朝、尼さんに念仏のことを尋ねると、「檀家の方がなくなると、いつも亡くなった檀家の方がやって来て念仏を唱えるのです」と教えてくれました。

 「いつもあること」は怖くはありませんが、ちょっと不思議なお話です。

 このお話は、尼さんにとっていつもあることで、特に不思議とも感じない怪談でも何でもないことだから、怪奇現象としての名前はなく、「いつもあること」という題になっているようです。たしかに慣れない人にとっては怪談でも、いつも奇怪な出来事が起こることを経験的に知っている人にとってはただの常識で、誰も不思議だと感じないということがあるのかもしれません。

 これからお話しする「警察の怪談」は小泉八雲の「いつもあること」に似ています。「警察の怪談」でご紹介する怪奇現象は、警察でいつもあることですから、新聞記者を含む警察関係者はだれもそれほど奇怪な現象だとは思っていません。ですから、ありがたいことに、そのまま新聞記事として残っているのです。そのおかげで、私たちが、新聞記事を通して実際に起こった怪奇現象を体験できるわけです。

 ただ「警察(官)は正義である」と素朴に信じていらっしゃる善良な国民の方々には、警察で「いつもあること」は、たまたまあることにしか見えません。残念なことに多くの国民の方々には、警察で起こっている本物の怪奇現象が見えていないのです。




④警察の霊 ポリツァイガイスト [警察の怪談]

 「警察の分析・批判はいまなおタブーの一つ」ですから、警察で起こっている「いつもあること」は、「警察の怪談」として語ることがふさわしいようです。

 巷には、怪談や心霊現象を扱った小説や映画が溢れていますが、残念なことに専門家ではないわれわれ一般庶民には本当に起こった現象なのか創作なのか判断がつきません。ところが、「警察の怪談」は、霊能力のないわれわれ一般庶民が新聞記事等で確認することができるのです。つまり、「警察の怪談」は現実にある正真正銘の怪奇現象なのです。

 明治時代に妖怪博士として有名な井上円了という哲学者がいました。井上博士は、怪奇現象を妖怪と総称して、科学では解明できない妖怪を「真怪」、自然現象によって実際に発生する妖怪を「仮怪」、誤認や恐怖感など心理的要因によって生まれてくる妖怪を「誤怪」、人が人為的に引き起こした妖怪を「偽怪」と分類して分析しました。井上博士の功績によって日本は啓蒙され、日本に昔から住んでいる妖怪はことごとく駆逐されてしまい、日本に昔から伝わる不思議な現象を信じる人はほとんどいなくなってしまいました。まるで日本の妖怪たちが、西欧からやってきたリヴァイアサンという妖怪に食べつくされてしまったかのようです。

 井上博士の区分に沿って分類していけば、「警察の怪談」でご紹介する怪奇現象は、現時点では「真怪」といえます。なぜなら、警察の分析・批判は今なおタブーですから、警察で起こっている怪奇現象は、現在の科学で分析不可能ということになります。つまり、科学では解明できない妖怪ということなのです。ですから、井上博士の区分では、警察で起こっている怪奇現象は全て「真怪」ということになります。真怪ですから、「警察の怪談」は、正真正銘の怪奇現象といえるのです。

 はじめに言ったように、「警察の分析・批判はいまなおタブーの一つ」ですから、警察で起こっている「いつもあること」は、「警察の怪談」として語ることがふさわしいのですが、厄介なことに、警察で起こっている怪奇現象には、まだ名前がありません。名前のないことについて話すのは難しいことです。名前のない現象ですから、たとえ、見たり感じたりしても他の人に説明できません。そこで、この警察で起こっている怪奇現象に名前を付けておきたいと思います。

 世界的に有名な心霊現象に、ポルターガイスト現象というのがあります。1982年にはアメリカで『ポルターガイスト』(Poltergeist)というホラー映画が作られています。アメリカだけでなく日本でも公開されましたから、「ポルターガイスト」は、多くの日本人にもなじみのある言葉だと思います。この「ポルターガイスト」(Poltergeist)という語は、ドイツ語で、語源は、polter(騒がしい)とgeist(霊)だそうで、この二つの意味を合わせて「騒がしい霊」という意味になるのだそうです。

 ポルターガイスト現象というのは、主に屋内で観測される現象で、家具や食器が誰も物理的な力を加えていないのに、移動する現象のことをいいます。ただ移動するだけではなくて、なにも物理的な原因がないのに突然椅子が倒れたり、テレビなどの電気製品が点いたり消えたりして、騒がしい状態が生じるのが特徴です。なにも物理的な原因がないのに騒がしい状態が起こるということです。つまり、ポルターガイスト現象は結果から原因にまで因果関係を遡れない現象です。ポルターガイスト現象は広く認知されていることから、科学的に説明しようとする試みも盛んなようです。

 このポルターガイスト現象にならって、警察で起こっている怪奇現象に名前を付けてみることにしました。覚えやすいように、なるべくポルターガイスト(Poltergeist)現象と語感が似るように、ポリツァイガイスト現象と名付けたいと思います。ポリツァイガイスト(Polizeigeist)は、ドイツ語の単語のPolizei(警察)とGeist(霊)をくっつけて作りました。二つの語の意味を合わせて「警察の霊」を表すことにしたいと思います。和製英語ならぬ和製ドイツ語です。

 ポリツァイガイスト現象は、原因と結果の間の因果関係が途中で途切れる現象です。拳銃を発射する行為を例に簡単に説明しておきます。拳銃を発射する行為では、引き金を引く⇒激鉄が下り⇒火薬が破裂して(同時に爆発音がします)⇒弾丸が飛び出す。という過程が一連に起こります。火薬が破裂しますから当然爆発音がします。それが拳銃の発射音です。警察施設内では火薬が破裂すれば必ず発生する爆発音(拳銃の発射音)が消えてしまう現象がたびたび発生しています。このような現象をポリツァイガイスト現象と名付けることにしました。

 あるはずの現象がなくなるわけですが、そのことに気付いても、たまたまなかっただけだと言われてしまえば、だれもが何かの錯覚だったのかと思ってしまうものです。それでは、せっかくの怪奇現象を感じることができません。そこで、1人でも多くの人が怪奇現象を感じることができるように、拳銃の発射音が消えるように、原因と結果の間の因果関係が途中で途切れる現象のことを、ポリツァイガイスト現象と名付けたわけです。さらに、このポリツァイガイスト現象を起こす主体をポリツァイガイスト(警察の霊)と呼ぶことにしておきたいと思います。

 これから「警察の怪談」をお話しする際に、いちいちこれがポリツァイガイスト現象、これがポリツァイガイスト(警察の霊)とは言いませんが、この言葉を心の隅に留めておいていただいていれば、「警察の怪談」に登場する怪奇現象を感じるのに役立つはずです。




⑤かわと交番の怪 島根県警出雲警察署であったこと [警察の怪談]

 2007年06月4日にあったことです。午前6時45分ごろ、島根県警出雲警察署の男性警部補(58)が、島根県出雲市塩冶有原町の島根県警出雲警察署1階の女性用仮眠室で、同僚の女性巡査長(25)が、布団の上で口から血を流して亡くなっているのを発見しました。 女性巡査長は2004年10月に島根県警に採用になり、警察学校を卒業後2005年4月から出雲警察署に配属されて、地域課やかわと交番などで勤務されていました。

 何の因縁でしょうか、出雲警察署では2006年3月にも警察官の拳銃自殺があったそうです。

 その時は、当時20歳の男性巡査が勤務中に自宅アパートで拳銃自殺されて亡くなっています。男性巡査は1月31日に島根県警察学校を卒業し、出雲警察署に配属されたばかりだったそうです。配属後わずか1か月で起こった悲劇でした。

 3月5日午前10時ごろ、島根県出雲市のアパートで、部屋に住む県警出雲警察署地域課の男性巡査が、押し入れで頭から血を流して死んでいるのを、出雲警察署の署員が見つけました。近くに島根県警が男性巡査に貸与した拳銃が落ちていて、弾丸1発の発射が確認されました。このことなどから出雲警察署は自殺と断定しました。遺書はなく、動機は不明だったそうです。立川署の警察官が女性を射殺し、女性宅で拳銃自殺した事件では、何発もの拳銃の発射音が近隣住民に聞こえていましたが、出雲市のアパートでは聞こえなかったようです。

 この日、男性巡査は午前8時30分ごろに出雲警察署で拳銃を装着後、同僚の巡査が運転する車で交番に向かいましたが、「忘れ物をした」と言って自宅アパートに立ち寄ったそうです。男性巡査は出雲警察署かわと交番で勤務していました。かわと交番は出雲警察署から車で13分ほどの場所にあります。午前8時30分ごろ出雲警察署からかわと交番に向かって、午前10時ごろご遺体が発見されたことになります。1時間30分も何をしていたのでしょうか。ちょっと忘れ物を取りに行っただけとは思えない時間です。

 それに交番には引き継ぎを待つ同僚がいるはずですから、一緒に交番へ向かう途中の巡査が同行しなければならないと思う程の忘れものとは、一体なんだったのでしょう。何か交番の備品や公文書を自宅に持ち帰っていれば別ですが、本署で拳銃を携帯し装備の点検後ですので、自宅アパートに立ち寄って職場へ持っていかなければならないようなものは何もないはずです。いったい何を持っていかなければならないと言ったのでしょうか。

 話を2007年06月の女性巡査長の拳銃自殺に戻します。女性巡査長は、3日午前8時半から24時間の当直勤務で、4日午前2時すぎに仮眠されたそうです。新聞報道では死亡推定時刻は4日午前6時から7時の間だそうです。

 女性巡査の遺体発見のきっかけは、4日午前5時55分ごろ、男性職員が保管庫に巡査長の拳銃がないことに気づいて、当直副責任者の男性警部補(58)に報告したことに始まります。報告を受けた男性警部補が拳銃の所在確認のために1階女性用仮眠室へ行きました。男性警部補が、女性巡査長に拳銃の所在を尋ねると「知らない」と答えたそうです。

 そこで男性警部補は、再度、保管庫で拳銃がないことを確認して、午前6時45分ごろに再び1階の女性用仮眠室に行きました。そのときに、女性巡査長が布団の上で、口から血を流し倒れているのを発見したのだそうです。1階の女性用仮眠室を利用していたのは巡査長だけでしたから、鍵がかかっていたはずですが、不思議なことに、男性警部補は簡単に入れたようです。

 男性警部補が女性巡査長の拳銃を探している午前6時ごろから6時45分の間に、拳銃の発射音がしたことになります。当直員全員が寝ることはありませんから、だれかが気付くはずです。通常、当直では、前後に分けて仮眠しますから、早寝:午後9時から翌午前2時、遅寝:午前2時から午前7時のように仮眠をとるはずです。それに、当直責任者か当直副責任者のどちらかは必ず起きていますから、当直室が不在になることも考えられません。また、警察署での当直では、来庁者の様子を見なければなりませんから、当直室は1階にあるのが普通で、女性用仮眠室が1階にあったのなら、物理学的には必ず銃声が聞こえるはずです。

 それに加えて、この日は女性巡査長の拳銃の所在が分からなくなるという大きな異変がありました。

 拳銃の所在がわかるまでは、何者かが侵入して拳銃を盗んだ可能性がありますから、重大事件に発展するかもしれない事案です。捜査のプロたちは、普段より注意力が鋭敏になっていたに違いありません。拳銃の発射音がすれば、聞きのがすはずなどありえません。ところが、当直の署員はだれも銃声を聞いていないのです。

 そもそも、当直責任者や当直副責任者は、『警察官等けん銃使用及び取扱い規範』(昭和三十七年五月十日国家公安委員会規則第七号)の「けん銃等の取扱い責任者」を代理して当直時の拳銃の授受を行うわけですから、拳銃の所在がわからなくなるはずはありません。

 それに、拳銃の紛失は「知らない」の一言で済むような軽い問題ではありませんから、たとえ、女性巡査長が「知らない」と答えたからといって男性警部補が、女性巡査長から目を離すはずがありません。当直副責任者をしているベテラン警部補がそんなことに気付かないはずはありませんから、常識的には、あり得ないことなのです。それでもこんな悲しいことが起こってしまったということは、当直副責任者の男性警部補に「知らない」と答えた女性巡査長は、既にこの世の者ではなかったのかもしれません。

 島根県警首席監察官は「早急に原因を究明し、再発防止に努める」とコメントされたそうですが、2006年3月5日に拳銃自殺され亡くなられた男性巡査の自殺の原因も不明のままです。

 じつは、2007年6月4日に拳銃自殺したとされる女性巡査長は、2006年3月に拳銃自殺したとされている男性巡査と同じかわと交番で勤務されていました。

 かわと交番に向かう途中で男性巡査が忘れ物をしたといって、自宅へ立ち寄ったときに、一緒にかわと交番へ向かっていたのは当時巡査だったこの女性巡査長でした。「呪われた交番」と報道された栃木県警真岡署益子交番以前にも同じ交番に勤務した警察官が二人つづけて拳銃自殺されていたことになります。

 出雲警察署では、男性巡査が拳銃で亡くなられた時も、女性巡査長が拳銃で亡くなられた時も拳銃の発射音は聞こえなかったそうです。拳銃の発射音が消えるという現象とともに、すべてが消え去ってしまったかのようです。今となっては、何があったのか真相を知るすべはありません。

 女性巡査長が拳銃をいつ持ち出したかについては、3日午後9時ごろ、勤務を終えた男性警察官が保管庫に拳銃を戻すときに女性巡査長が立ち会ったという理由で、そのときに拳銃を持ち出したのだろうということになったそうです。



⑥西堺警察署の怪 大阪府警であったこと  [警察の怪談]

 2010年9月22日のことです。午前9時25分ごろ堺市西区の大阪府警西堺署地域課の警察官が、西堺署4階の男子トイレで同僚の男性巡査(23)が頭から血を流して倒れているのを発見しました。

 亡くなられた男性巡査は2010年2月に大阪府警に採用され、警察学校を卒業後、7月から西堺署に配属されて、西堺署のある交番に勤務されていました。普段から仕事に悩んでいる様子だったそうです。配属後わずか2カ月で起こった悲劇でした。

 今回の不幸な出来事のあった西堺警察署は、以前は堺南警察署と呼ばれていた警察署で、堺南警察署と呼ばれていた頃に有名な「警察官ネコババ事件」がありました。「警察官ネコババ事件」というのは、1988年2月にあった事件で、堺南警察署槙塚台派出所(現在は南堺警察署槙塚台交番)の巡査が、拾得物の現金15万円を着服して、そのことを知った堺南署が不祥事を隠蔽するために、現金を届けた妊婦さんを犯人に仕立てあげようとした事件です。「警察(官)は正義である」と信じている採用間もない若い警察官が、事前にこの事件の事を知っていれば問題ないでしょうが、配属後知ったらショックだったことでしょう。

 警察官募集広報では、大阪府警の交番勤務の警察官の勤務時間は、午前9時~午前9時までの24時間勤務(勤務時間16時間、休憩時間3時間、仮眠時間5時間)で3週6休制、6休の内1回は土日が休みだと広報されています。実際には、休憩時間に休憩できず仮眠も十分に取れないそうです。大阪府警枚岡警察署地域課地域第三係では警察官(当時24歳)が過労死されているくらいです。

 この警察官は1993年7月24日に過労死され、その過労死行政訴訟の裁判の過程で、大阪府警は大阪府下各署の状況を正直に語っています。大阪府警によると「通常の警察署の地域課の課員が行う通常の業務を行っていたものに過ぎない。枚岡警察署の地域課員の行う業務はその業務内容の点については,地域的にみて他の署に比較して楽(労働負荷が少ない)なものであった」そうです。警察が死者に鞭打つようなことを言うはずありませんから、事実なのでしょう。つまり、大阪府警では、楽な平岡警察署の交番勤務で若くて元気な警察官が過労死するのだそうです。楽な平岡警察署で過労死するくらいですから、大阪府下のどこの警察署でも過労死される警察官が出ても不思議ではない状況なのです。

 大阪府警の警察官募集広報によると、交番勤務から内勤に移るには、個人差が大きいと言われています。警察学校を出てから約1年は研修期間で、それが終わってようやく独り立ちできるのだそうです。独り立ちしてから実績を上げて上司に認められなければ内勤にはなれず、最短でも2年はかかると言われています。つまり、大阪府警では短くても警察学校を出て約3年は交番勤務をしなければならないということです。大阪府警には、10年経っても交番や駐在所の人もたくさんいて、生涯内勤になれない人もいるそうです。過労死する枚岡警察署よりキツイ状況が、10年以上続くと考えると、人間ならだれでも憂鬱になることでしょう。

 さてここで、交番勤務の一日をちょっと見ておきましょう。交番によって多少異なると思いますが、交番勤務の警察官は朝警察署に出勤します。更衣室で制服に着替えて、身支度を整えた後、拳銃を受け取りけん銃保管出納簿に記入、装備品等の点検を受けます。警察署で指示を受けた後、交番へ移動します。そこで前日の勤務員から、発生した事件や事故などの引継ぎを受けてから交番での勤務が始まります。交番では巡回連絡(区域を巡回して、家庭や事業所などを訪問する活動。防犯連絡などのほか、住民から意見や要望などを聞き取る)やパトロールをします。ほかにも事件や事故が発生するごとに書類を作成しなければなりません。被害届の受理や万引き等の捜査書類の作成も行いますから日によって仕事の量は変わりますし予測はできません。夜は在所勤務といって、その日に扱った事件の書類作成や整理を行います。在所勤務が終われば仮眠や休憩をします。事件や事故があれば、休憩どころか仮眠をとれないこともあります。朝は、交番前で立番を行って、通勤や通学の見守り活動を行います。そして交替の警察官が交番に到着してから、勤務時間中に発生した事件や事故の情報などの引き継ぎをします。交番から警察署に戻って、拳銃の返納、けん銃保管出納簿に記入して、ようやく交番勤務の1日が終わります。

 2010年9月22日も普段通り勤務が終わるはずでした。

 ところが、男性巡査は、西堺署の4階男性用トイレの個室で、右こめかみから血を流して倒れているのを、同僚の警察官に発見されたのです。男性巡査は鍵をかけた個室内に倒れていて、拳銃は便器の下に落ちていたそうです。男性巡査は勤務中で、拳銃は警察が男性巡査に貸与していたものでした。遺書は見つからなかったそうですが、西堺署は自殺と断定しました。

 男性巡査は、9月21日午前9時から22日午前10時までの勤務で、引き継ぎの書類を提出するため西堺署に来ていたそうです。新聞記事には、勤務を終えて本署に戻ったことをちょっと署に立ち寄っただけのことのように書いてありました。警察官募集広報では交番の当直勤務は午前9時~午前9時までの24時間とされていますから、午前10時まで一生懸命頑張って残業をしていたのでしょう。一生懸命に働いて、残業を終えて西堺署に戻った午前10時前後に銃弾が発射されたのです。

 それでも、その銃声はだれにも届くことはありませんでした。

 午前10時前後ですから、西堺署にはたくさんの署員がいたはずですが、だれも拳銃の発射音を聞いていませんでした。





⑦中警察署の怪 愛知県警であったこと [警察の怪談]

 2010年11月29日のことです。午後1時45分ごろ愛知県警中署地域課の警察官が名古屋市中区千代田の愛知県警中署2階の男子トイレ個室で、同僚の男性巡査(24)が頭から血を流して倒れているのを見つけました。

 亡くなられた男性巡査は、2010年4月に愛知県警に採用されて、警察学校卒業後、9月下旬から中署池田交番に勤務されていたそうです。配属後わずか2カ月の悲劇でした。

 愛知県警の交番勤務は、3日に一度の勤務の三交替制勤務で、当直日は拘束時間24時間(勤務時間16時間、休憩時間3時間、仮眠時間5時間)となっています。規定では、休憩時間3時間、仮眠時間5時間となっていますが、一般企業のように休憩時間を取ることはできません。まず休めません。愛知県警でも大阪府警のように過労死された警察官がいらっしゃらないかと調べてみました。すると、1998年に愛知県港警察署地域課の警察官が休憩時間にも超過勤務手当を支給すべきだと主張して訴訟されていました。

 警察の地域警察の部門では、勤務員の一部が休憩中でも、組織としては常に活動を行っています。常に活動を行っていますから交番で勤務する警察官は、 緊急時における連絡及び体制確保等のために、休憩時間でも、許可を得ずにみだりに勤務場所を離脱しないことを義務付けられています。勤務に影響を及ばさない範囲で、警察幹部の許可を得て、連絡体制を確保しつつ交番以外に出かけることは許されているそうですが、生身の人間は、そんなことでは休んだ気分になれるはずがありません。精神的疲労が溜まる一方です。

 休憩時間中に事件、事故等が発生した場合は、原則として勤務中の他の警察官が処理する体制となっているので、休憩時間中の警察官が処理することになるのは、緊急の場合、重要な事案発生の場合等、その時々の状況によりやむを得ない場合だけだから大丈夫だと裁判官はおっしゃっています。ですが、事件や事故等が発生したのでなく、些細なことでも同僚が困っていたら助けないわけにいかないのが人情というものです。

 休憩時間中の警察官が事件事故などを処理した場合は、事前又は事後に直属の地域警察幹部の承認を受けることで、その後の勤務時間に代わりの休憩を取得することができるようになっているからいいとも裁判官はおっしゃいます。ですが、「緊急の場合、重要な事案発生の場合等」は、事前に直属の地域警察幹部の承認を受けることは無理ですし、事後に申告して承認を受けるのも厄介です。同僚が困っていたので、些細なことだが手伝ってしまって休憩できなかった場合に、ふつうの国民的感情を持った警察官なら事後に申告できるはずがありません。親切心でやったことなのに、休憩できなかった仮眠できなかったと申告すれば、当人の意図に反して些細なことで困っていた同僚の無能を上司に訴えることになってしまいます。休憩したいと申告するだけでなく、そう思うことにさえ罪悪感を感じて心が傷ついてしまいます。

 採用前に見た警察官募集広報では、一般企業と同じようにしか説明されませんが、何かあると、「警察の責務は極めて公共性が強く、市民生活の安全と平穏を守るために、昼夜を分かたず職務を遂行しなければならないこと、そのため労働基準法四〇条一項、労働基準法 施行規則三三条一項一号も、警察官については休憩時間の自由利用の原則の適用を排除している」ということが、持ち出されます。法律的には、採用前に知っておくべきことなのでしょうが、ふつうの国民的感情を持った人は、警察官募集広報や採用担当者や大学の先輩のリクルーターの説明を鵜呑みにしてしまい、後で面喰ってしまう方が多いのではないでしょうか。それは、相当ショックなはずです。

 亡くなられた男性巡査は、普段は、始業時間の午前8時45分になる前に中署に出勤されていたそうです。交番勤務の警察官は制服勤務ですから、出勤すると制服に着替えます。着替えがすむと、けん銃の取扱い責任者または代理者から鍵を受け取って、署の拳銃保管室の拳銃保管庫から拳銃を取り出し、けん銃保管出納簿に必要事項を記載してから、拳銃を携帯します。そして、装備品の点検を受けて、警察署で指示を受けた後、自転車で交番に向かいます。交番に着いてから、前日の勤務員から、発生した事件や事故などの引継ぎを受けて、交番勤務が始まります。

 2010年11月29日も普段通り勤務が始まったはずでした。ところが、男性巡査は、午後1時45分ごろに中署2階の男子トイレ個室で、頭から血を流して倒れているところを、同僚の警察官に発見されたのです。

 報道によれば、この日、男性巡査は、引き継ぎのために午前8時ごろ、いったん中署に出勤したそうですが、正午ごろ姿が見えなくなってしまったのだそうです。拳銃を装備したままですから、出勤・点呼・拳銃の貸与・装備の点検を受けて、交番で勤務していて、突然、正午ごろ姿が見えなくなってしまったということなのでしょうか。それなら、相当同僚の警察官は驚かれたと思います。さらに、中署署員の誰も気づかないうちに、中署2階のトイレにたどりついていたのですから驚きです。相当な驚きをもって同僚の署員らが一生懸命、行方を捜された様子が目に浮かぶようです。

 上司の巡査部長が、中署2階の男子トイレ個室で、頭から血を流して倒れている男性巡査を、発見した時は、腰を抜かさんばかりに驚かれたことでしょう。そして、せめて拳銃の発射音さえ聞こえていれば、少しでも早く傷の手当てをしてやれたのにと、口惜しく思い悔し涙を流されたことでしょう。

 男性巡査が発見されたトイレの個室は内側から鍵が掛かっていて、個室の壁には、頭部を貫通した弾によるものとみられる傷があったそうです。男性巡査は洋式便器に座って前のめりに倒れて、愛知県警が貸与した回転式拳銃はホルスターから抜かれた状態で、銃弾を発射した跡があり、弾は床に落ちていたといいます。

 遺書は、見つからなかったそうですが、男性巡査の右側頭部に拳銃で1発撃ったあとがあったことなどから、中署は拳銃で頭を撃って自殺したと断定して、動機などを調べたそうです。しかしその後、新聞報道等で動機が明らかにされることはありませんでした。

 巡査が発見されたトイレがあった2階は、巡査の所属する地域課ではなかったそうですが、倉庫等ではなく交通課などが入っていたそうですから無人ではなかったようです。しかし、拳銃の発射音を聞いて署員が慌てて現場に駆け付けたとの報道はありませんでした。残念なことですが、勤務時間中にトイレで拳銃が発射されても、中署員のだれの耳にも拳銃の発射音は届かなかったのです。

 拳銃の発射音は、通常の聴力があり重大な精神疾患等がなければ、必ず聞こえる程度の轟音のはずですが、中署の同僚の警察官はだれ一人拳銃の発射音を聞いていないのです。


※この事件は後に、いじめが原因の自殺であったとして、ご家族が訴訟を起こされたそうです。




⑧荻窪警察署の怪 警視庁であったこと  [警察の怪談]

 2010年6月14日午後4時過ぎのことです。東京都杉並区桃井にある警視庁荻窪署7階の待機寮で、荻窪署地域課の男性巡査長(27)が頭から血を流して倒れているのを同僚の荻窪署員が発見しました。

 警視庁の募集要項などには「単身寮・家族住宅」などと書いてありますが、警察官の単身寮というのは、「警視庁単身者待機寮規定」でいう警視庁単身者用待機寮のことです。警視庁単身者用待機寮というのは、有事即応の警察力確保が目的ですから、民間企業の社宅やほかの官庁の公務員宿舎と思って入居すると面喰います。

 警視庁には警視庁警備待機所有家族者待機寮というのもあります。警視庁の警備待機所の有家族者待機寮という意味のようです。つまり、家族のある警察官の待機寮のことです。「警視庁警備待機所有家族者待機寮運用要綱」によると、有家族者待機寮の目的も単身者待機寮と同様に、警備力確保です。常に天災や事故やテロに備え何か起こった場合に緊急招集に応じる準備をしておかなければなりません。なかなか大変なことです。警備力確保という目的だけでも大変ですが、有家族者待機寮は警察施設ですからテロ攻撃の対象になる可能性があります。その点では単身者用待機寮も同様です。単身者用待機寮の場合は、警察官本人の問題ですが、有家族者待機寮は家族の問題ですから厄介です。

 警視庁を標的にした有名なテロ事件に1971(昭和46)年12月18日の「土田邸事件」があります。当時警視庁警務部長をされていた土田國保さんの自宅で爆弾が爆発し、土田さんの奥さまが亡くなられ、ご子息さんが重傷を負われるという大変な爆弾テロ事件でした。土田さんはその後、警視総監にまでなられましたが、1978(昭和53)年2月に北沢署巡査による制服警察官女子大生殺人事件が起こって、不祥事の責任をとって警視総監を辞任されています。土田さんは1999年に亡くなられ、奥さまが喪主をなさったそうです。

 テロの対象は偉い方だけではありません。「警視庁独身寮爆破事件」というのもありました。この事件は1990年(平成2年)11月1日から2日にかけて起こった爆弾テロ事件で、1日に新宿区の単身者待機寮「清和寮」、2日に世田谷区の単身者待機寮「誠和寮」で爆発がありました。11月1日にあった清和寮の事件では、新宿警察署の署員1人が亡くなられたほか、寮に住む警察官等が爆発音を聞いて現場に駆け付けたところ、もう一度爆発があり7人が重軽傷を負われました。待機寮はテロ攻撃の標的なのです。そんなこともあってか、入寮者の気が緩まないように有家族者待機寮でも回覧でテロ警戒を呼び掛けたり、定期的にテロ警戒のビラがポストに入れられたりします。家族のことを思うと、心の休まる暇がありません。

 待機寮には、警察署とは別の場所にあるものもありますが、有事即応の警察力確保が目的ですから警察署の敷地内や警察署の上が単身者待機寮になっている場合が多いようです。警察署の建物内には留置場や死体安置所などがありますから、きっと、待機寮の住人は24時間気の休まることはないでしょう。このような待機寮は、警視庁だけでなくほかの都道府県警にもあります。地方によっては「有家族者待機寮」のことを「待機宿舎」と呼んでいるところもありますが、どこの県警でも似たり寄ったりで、待機寮の目的は有事即応の警察力確保ですから、休日でも心が休まることがありません。

 そのためか待機寮では度々ボヤを出しています。京都府警の「北野寮」(鉄筋4階建て、98室)や埼玉県警の戸田小玉宿舎の物置でボヤがありました。消防車12台にヘリ1機が出動し、神戸の繁華街を騒然とさせた兵庫県警生田警察署(鉄筋コンクリート10階建て)のボヤも、生田警察署9階にある待機寮が失火場所でした。採用前に待機寮の目的を知らされずに、普通の社員寮だと思っていたら、有事即応の警察力確保のための待機場所で、休日でも心が休まることがないと知ったら、ショックなことでしょう。

 荻窪警察署の警察官死亡事案では、当初の報道では、死亡した巡査長は制服姿で、手錠や拳銃を装備していましたが、巡査長は午後3時半から勤務予定だったのに、出勤しなかったと報道されていました。そして、死亡した巡査長が出勤しなかったので署員が単身寮の自室などを捜していて、巡査長を発見したということになっていました。ふつうは、警察署に出勤して、更衣室で制服に着替え、身支度を整えた後、拳銃を受け取ってけん銃保管出納簿に記入して、装備品等の点検を受けます。そして警察署で指示を受けた後、交番勤務なら交番へということになります。

 出勤せずに制服姿で、手錠や拳銃を装備していることはあり得ないのです。

 不自然なこともあるものだなと思っていましたら、時間を追うごとに報道内容が変わりました。先ほど言った内容の報道の次は、男性巡査長は勤務中だったが、所在が分からなくなり、同僚が巡査長の部屋を見に行ったところ倒れていたとなりました。そして最後には、巡査長は同日午後3時すぎに署内で課長から勤務について指示を受けたが、拳銃を装備した後に姿が見えなくなっていたという報道になりました。

 結局、男性巡査長はこの日出勤後、午後3時すぎに署内で課長から勤務について指示を受けて、拳銃を装備した後に姿が見えなくなっていたということです。男性巡査長が行方不明になったため、同僚の警察官が単身寮の男性巡査長の部屋へ行ってみたということのようです。

 警察官は交代制勤務ですし、待機寮は有事即応の警察力確保が目的ですから、だれか同僚が寮に残っていてもよさそうなものですが、拳銃の発射音はだれも聞かなかったようです。テロ攻撃の対象となる警察施設内で拳銃を発射したらその発射音を聞いた署員が、テロと勘違いして殺到しそうなものですが、だれも拳銃の発射音には気付きませんでした。

 それよりも気になることがあります。

 午後3時すぎに署内で課長から勤務について指示を受けて、午後4時過ぎに発見されて、部屋に遺書が残されていたということです。もし、午後3時すぎに自殺する決意をして、それから遺書を書いたのだとしたら、もう少し発見が早ければ、死なずに済んだように思えてなりません。残念なことです。





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