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警察の不祥事予防策 [蘇る博士②]

以下の文章は、突然閉鎖された「博士の愛した株式」というブログに掲載されていた記事である。

警察の不祥事予防策:利他的な贈与の動機のインセンティブ化? [Polis-Literacy]

以下の文章は、以前に私がI博士と雑談した際、「警察の不祥事をなくすにはどのようにすべきですか?」との私の問いに、I博士が冗談交じりに語ったことをまとめたものである。

戦前の代表的警察官僚の松井茂法学博士は、徳義を公徳と私徳に分類し、公徳とは、個人の行為または不行為が公衆に便益を与えるものであり、「一個人の社会 に対する所の徳義」で、「其効果は公衆其物に影響を及ぼす」ものである。私徳とは、その効果が直接に社会一般に及ばないもので、各自の精神的修養に属すもので、一つの美徳であると定義した。松井がいう公徳とは、経済学の表現を借りれば、相互外部効果のことである。例えば、相互外部効果とは、混雑現象における一人一人が同一の外部不経済の発生者であると同時に受領者であることをいう。この外部不経済を内部化することが、松井の公徳の展開という社会教化運動であった。つまり、社会教化運動(規律・訓練)による国民皆警察化(国民全てを官僚化すること)とは、外部不経済の内部化の試みであったといえるだろう。
混雑現象における相互外部効果には、個人が外部不経済を発生させるという側面と、個人が外部不経済を発生させない(道徳的態度をとる)ということによって生み出す外部経済の側面が内在する。そのため、社会教化運動(規律・訓練)による外部不経済の内部化は、外部経済による効用と内部化による効用との区別を不可能にする。このことは、内部化の対象となるまでは、個の効用の最大化を目標として行動するとが、肯定されることを示している。その結果としてモラルハザードが必然的に生じる。
そしてこのモラルハザードを解決するために、社会教化運動(規律・訓練)の強化という形で外部不経済の内部化の努力が継続される。つまり、問題発生の原因 を問題解決に適用するという悪循環が生じ、社会厚生をゼロにするまで社会教化運動が継続される 。しかし、松井の国民皆警察化による道徳の形成(外部不経済の内部化)は失敗に終った。
ここに現在の政府部門の組織が抱える問題の解決のヒントがある。つまり、政府部門の組織が抱えるモラルハザードを解決するために必要なのは、外部不経済の内部化(規律の強化)ではなく、外部不経済を内部化することによって同時に消滅した外部経済の(仮想的な)外部化である。以下、外部不経済を内部化することによって同時に消滅した外部経済の(仮想的な)外部化の一例を示す。
現在、政府職員の効用最大化(政府職員の効用最大化は、自己および自己の属する機関の支配の下にある予算規模の拡大によって追及される。)は、民間人の効用最大化と異なり、資源利用の効率向上と需要への積極的対応につながらない(例えば、公共企業体の職員の主たる関心は、自己の属する公共企業体の職員の厚生の拡大であって、サービスの提供価格を引き下げるよりも、企業体の職員への厚生サービス等を拡大して見かけの利益率の圧縮に努力する)という問題が指摘されている。この原因は、政府職員も自己の効用の最大化を目標として行動すると仮定すると、政府組織を構成する個人が合理的個人の判断によって行動したとき、モラルハザードが生じ、結果として社会的厚生を減少させる。ここに政府組織の非効率を生む原因があると考えられる。政府組織の非効率をただすためには、政府職員の直面する制約条件、つまり制度改革のためのモデルを提示する必要がある。つまり、これまでのコストを認識させること(規律・訓練等によって、個の効用の減少をコストとして認識させること)に主眼を置く施策から、道徳発現の経路を確保するための経済政策のモデルを提示し、その政策モデルを実証することである。
政府職員は一般民間人と異なり、経費削減のインセンティブを持たないということに帰結する。つまり政府職員は、財の生産またはサービスの提供を効率的に行うことに対する報酬を受け取ることができない。
さらに、政府職員は、有権者の意見を自己の都合に有利なように操作する(私企業におけるCI活動に類する宣伝や広報、昨今注目されている危機管理論などがこれにあたる。)ことすら可能であり、政府職員は最適水準よりかなり高い規模の予算案を議会または有権者に認めさせることができる。換言すれば、有権者に帰属するはずであった、消費者余剰の一部が政府職員の余剰となり、かつ政府規模が拡大することを意味する。つまり、政府職員の効用の最大化は、社会的厚生を減少させる。
このような問題の象徴として、予算の完全執行、あるいは、予算の執行残の意図的な流用等がある。例えば、予算の執行残を国庫等に返還することさえ、翌年度の予算獲得に不利となると考えられることから、政府機関の予算の適正な執行を妨げている。
しかしここでもし、この予算の執行残を利用することによって、政府職員へ資源利用の効率向上と需要への積極的対応のインセンティブを与えるモデルを提示することが出来たとすれば、この問題を軽減することが可能となるのではないだろうか。
例えば、警察予算を適正に執行した結果生まれる執行残を翌年度の社会福祉予算に循環させるのである。このことによって、自己の組織の適正な予算執行が人を救うことになる。その反対に不適正な予算執行は、たとえ自己の組織のためであっても、人を救うための予算を流用することとなる(この場合、組織内の会計担当者が、上司の命令によって裏金を作ることに異論を唱える機会を与えることとなる。つまり、道徳性発現の経路を確保することができるのである)ことが明瞭となる。
さらに、会計検査等が適正に行われ、執行残による社会福祉予算への繰越の対前年比を指標化することができれば、政府機関での広報やCI活動に浪費される税を節約することができる。つまり、市民協力を得るための政府機関等の好ましいイメージづくりを意図的にする必要がなくなるのである。なぜなら税を節約した結果が社会福祉の財源として循環するのであるから、公務員の役割が社会的厚生を増加させることであることを、市民に明瞭に印象付けることができるのである。この指標は、ある意味で道徳性の指標ともなる。
つまり、自己(の組織)が手に出来ない効用(予算の執行残)を、限られた受贈者の内の誰に一番に与えたいか(警察患部か救済を求める人々か)という選択可能性(利他的な贈与の動機:利他的な遺産動機〔子の効用をあたかも自分の効用と同じようにうれしいと感じること〕との類似効果が存在すると仮定し、その効果を利他的な贈与の動機と呼ぶこととした)を資源利用の効率向上と需要への積極的対応のインセンティブ(誘引:この誘引を「道徳的な効力のある誘引」MEI 〔Moral effective incentive〕と呼ぶこととしたい)とすることである。これが外部不経済を内部化することによって同時に消滅した外部経済の仮想的な外部化である。
私は、この外部不経済を内部化することによって同時に消滅した外部経済の仮想的な外部化を総合政策と考え、政策提言を行なっていきたいと思う。
最後の部分は、ほとんど冗談だろう。




2006-11-25 05:44 nice!(0) コメント(0) トラックバック(3)



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